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過去に受けた発音訓練について話すこと [雑感]

今は育児に慌ただしく追われる日々で、聴覚障害者絡みのあらゆるテーマについてあまり考えられない状況。
それでも、何年も前から不快に感じていたことは頭にずっと垢のようにこびりついているもので、文章化せずにいられない。

と、いうわけで、今日のお題は「過去に受けた発音訓練について話すこと」。

聴覚障害者が自分の体験談を話す場といえば、聴覚障害者団体や聾学校、地域支援センターで行われている講演会や勉強会に限られることが多い。
著名な人であれば、マスメディアに登場して話す機会も多々あるように思う。

私は講演会や勉強会にあまり足を運ばないが、何かのきっかけにもらう講演録には必ず目を通している。この10数年間は、ネット環境が充実してきたおかげでWebページでも読めるようになったので、事あるごとに検索しては読むことがある。

学生時代に受けた教育、就職活動などはまだ共感できる要素が多いが、発音訓練に関する体験談には、何年も引きずってしまう位強い不快さを感じる。(それなら読むなと言われそうだが。)

そのなかで衝撃的だったのは、10数年も前に読んだ、とある人の講演録。
「自分はこのプロセスを経て発音が明瞭になりました」というもの。
過去と現在の明瞭度を比較する目的で、不明瞭だった頃に話した内容を数年ごとに録音しておいたテープを会場で聴かせたことには悪い意味でショックを受けた。
ある程度大きな規模の会場で行われた講演会なので、講演録を読みながら、会場にいた聴衆が何を感じたのか、思ったのかがとても気になった。
聴覚障害者の発声・発音が完璧(もしくは完璧に近い状態)になるためには、幸運な要素が複合的に積み重なっていることが必要。
講演者の影響力にもよるが、聴衆が「重い難聴がある○○さんにできたのに、同レベルの難聴がある××さんにはなぜできないの?努力が足りないのか?」というように間違った理解をすることに強い危惧を感じる。

 ※聴覚障害者の発声・発音訓練に関しては、下記記事をご参照ください。

  過去のブログ記事
  「発声・発音訓練が明瞭な発声・発音を必ずしも可能にするわけではない理由」(http://kobuta-090315.blog.so-net.ne.jp/2012-09-15

なお、その講演は、聴覚障害者に対して理解を深めてもらうのが目的で開催されたもののようだ。
それならば、どのようなプロセスを経て発声・発音が明瞭になったかを延々と話すのではなく、発声・発音が明瞭になった理由を分析して話すべきだったのではないか。
私がもし聴覚障害児を持つ親であれば、子どもの教育に生かす目的でも、なぜ明瞭になったのか、理由を強く知りたいと思うからだ。体験談を延々と話されるだけでは、何のために講演を聞いているのか分からなくなる。時間の無駄。

発声・発音が明瞭になる理由を話すことは、聴覚障害者に対する理解促進になるだけでなく、訓練の真っ最中である幼児や小学生、その親にとっては参考になる点が多いというメリットがある。
私が過去に「発声・発音訓練が明瞭な発声・発音を必ずしも可能にするわけではない理由」を書いたのも、そうしたメリットがあると考えてのことだ。

その意味でも、先述した講演録には、強い不快感や憤りを感じた。

重度難聴でありながら明瞭な聴覚障害者は自分がなぜ明瞭になったのかをほとんど考えてない印象がある。
これだけ聴覚障害者がいるのに、理由を自分なりに分析できている人の体験談や講演録が全く公開されていない現状には違和感を感じざるをえない。

自分なりに分析できる人が増えれば、聴覚障害者に対する理解も今とはまた違ったものになるかもしれないと考えるからだ。
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発声・発音訓練に関して思うこと [雑感]

今年もよろしくお願いいたします。

昨年は環境の変化や様々な出来事が積み重なり、気づけば半年以上もブログから遠ざかっていました。
そのような状況にもかかわらず、アクセスしてくださっている方の存在には大変ありがたく感じます。

さて、今回は、発声・発音に関する記事です。
考えるのがつらいので、支離滅裂な上に、愚痴めいた記事になってしまいますが・・・。

過去に、発声・発音が不明瞭なことで受けた不利益(http://kobuta-090315.blog.so-net.ne.jp/2011-08-28)、発声・発音訓練が明瞭な発声・発音を必ずしも可能にするわけではない理由(http://kobuta-090315.blog.so-net.ne.jp/2012-09-15)を書いてきました。

夫は難聴者とはいえ、明瞭に話せる方です。
彼も幼児期に発声・発音訓練を受けた経験があったので、発声・発音訓練の話は時々しますが、
夫の話を何回か聞く限り、「どこ」で「どの専門家」に適切な訓練を受けたかが訓練の成否に大きく関わってきているのではないかということを強く感じるようになりました。

私も夫も幼少期を過ごしたのは30年近くも前。
今と違い、インターネットがなく、口コミや本、テレビ(NHK教育の番組)が主な情報源。
私の場合は、難聴が判明してすぐに病院から地元のろう学校)を紹介され、そこで指導を受けましたが、発声・発音訓練に関してはゆるかった記憶があります。
「それならば、他の教育機関で指導を受けるべきだったのではないか」と思う方もいるかもしれません。
が、当時の乏しい情報源では、他にいい教育機関で指導を受ける考えが思い浮かばず、地元のろう学校で教育を受けるしか方法がなかったのです。
一方、夫の方はというと、口コミで評判のいい専門家の存在を知ったことで、上京して数か月間ホテル暮らしをしてまで指導を受けられたこと、地元のろう学校が発声・発音訓練では徹底していたことで、大きな成果をあげることができました。
当時の聴力や義母の執念もある程度は関係あったのかもしれませんが、適切な教育機関で適切な専門家に指導を受けたことが明瞭な発音につながっていることだけは確かです。

過去に得た知識も交えつつ、いろいろ突き詰めて考えていくと、発声・発音訓練を指導する立場である専門家は難聴児の将来に対して強い責任をもってやっているのかという思いが常によぎります。

私の場合、専門家が無責任だったのかもしれない。あるいは、能無しだったのかもしれない。
発声・発音訓練は現在は言語聴覚士の資格を持つ方しか指導できないようですが、どこまで考えて指導しているのかが気になるところ。

職場の人々もそうですが、世間の人々はこういう深い事情があることを知らないために、難聴者の発声や発音についてあれこれ言いたがるものですが、それだけはやめてもらいたい。

特に、つらい気持ちになるのは、同じ場所で同じ空気を味わっている人が自分より発声・発音が明瞭な場合、「なんで○○さんは明瞭なのに、ふよこさんは不明瞭なの?」というふうに周囲から見られること。

うちの自治体は、表面上は人それぞれ個性を大事にします、人権を大事にしますとうたいながらも、本音では「普通、平均の人」を求める雰囲気が強い。
障害福祉課等の一部窓口の対応についていろいろ情報を聞きますが、障害者に対して大変失礼な対応をしているにもかかわらず!
なんでこんな奴が採用されているんだ!と思うことも少なくありません。
(それ言ったら、私も「なんでこんな奴が採用されているのか」と思われているのかもしれませんね)
採用試験にもそれが表れているのか、難聴であっても口頭で明瞭に話せる人を強く求める。
私は筆談で採用試験に臨みましたが、筆談のスピードが遅いと不合格になるのではないか、バカにされるのではないかと内心緊張したものです。
(私の筆談スピードはかなり速い方ですが、発声・発音訓練を受けた人が話す速さには到底かなわないだろう・・・ということをどうしても思ってしまいます。)
それもあってか、過去に受けた発声・発音訓練の不十分さをどうしても思い出してしまうのかもしれません。

自治体に入って昇格も経験したことで、うちの自治体は難聴者でもちゃんと能力を見てくれているんだということがわかりました。
しかし、上位役職者から言われた「ふよこさんは事務処理能力は大変高いが、コミュニケーションには課題がある」という言葉がどうしても頭から離れず、こんなことを言われるくらいなら、過去に、発声・発音訓練をちゃんと受けるべきだったのではないかということも考えてしまいます。

それ位、結婚もした、昇格もした、給料も増えた、生活には困っていない・・・今が恵まれた環境であっても、発声・発音が不明瞭なことで受ける不利益から頭が離れることはないのです。

給料があがらない人も多くいるなかで、そんなことで悩むのは贅沢な悩みなのでしょうが。

そんなわけで、今年は現状に感謝しつつ過ごしたいところです。
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長距離通勤と仕事 [雑感]

前回の記事から5カ月近くが経過しますが、この間、引っ越しや異動を経験しました。

今年2月に都内から出身地である市に戻ったことで、職場に近くなり通勤が楽になったか
と思いきや、4月の異動で家から職場までの距離が遠くなり長距離通勤を余儀なくされて
います。
通勤距離も時間も、昨年都内に住んでいた頃とあまり変わらないですが、片道1時間半
かけての通勤は私の身体には堪える部分があります。

片道1時間半以上の通勤を長年続けている人にとっては何ということはないのかもしれま
せんが、片道1時間以内の通学・通勤を長年続けてきてこの先もそれが永遠に続くと
思いこんでいた私には厳しいですね。

片道1時間半以上の通勤だと、当然、仕事や生活でうまく工夫していかないと、可処分
時間や睡眠時間が削られます。
睡眠時間は翌日に影響が出ない程度にキープできても、可処分時間の捻出が難しくなり
ました。
独身時代は片道1時間半以上の通勤を全然想像したことがなかったので、長距離通勤の
乗り切り方について試行錯誤しながらも考える日々です。
電車では途中駅から座れるのでスマートフォン操作や読書に明け暮れますが、どちらか
といえば、ただじっと読むより手を動かすのが好きなほうなので、通勤時間がもったい
なく感じるのです。
次の異動は数年後になる予定。
早くも、「家に近い場所に異動させてくれれば・・・」と毎日思っては諦めての繰り返しです。

ちなみにですが、今の職場はまわりを山に囲まれているため自然豊かで環境良好です。
少し歩いたところには、畑が広がっているのが見えます。
田舎暮らしをしたい人には最高の場所かもしれませんが、交通の便は悪い、買い物する
場所が遠い、店の数が少ないなど、仕事や生活をしていくには大変不便な場所です。
日常生活の足として、車が欠かせません。

実は、私の家からなら1時間以内で通える職場はたくさんあります。
しかし、前職場の管理職(当時)の頭のなかで下のような公式ができあがっていたから
でしょうか、

「どのような仕事をするにしても、電話応対がかかせない。」
      ↓
「電話応対ができない聴覚障害者の場合、聴覚障害者に関係ない用件で
 他人が電話を受けたとしても、表面上、他人の業務量に負担がかかる。」
      ↓
「それならば、聴覚障害者は人数が多く余裕のある組織で仕事をする必要がある。」

人数にゆとりがあり誰か一人がかけても日々の仕事が回っていける組織として、
異動する前から、今の職場を推されていたのです。

電話応対できるかどうかを基準にして異動先の選定に結びつける発想は短絡的な気が
しますし、疑問が残る部分も多々ありますが・・・。

今の自治体の財政を考えると、電話応対ができない私には、最悪、今の職場しかない
状態なのかもしれない・・・、ぜいたく言っている場合じゃないなとも思っています。

ちなみに、今担当している仕事には、中小企業との取引も含まれています。
メールやファックスのやり取りに日数がかかるのはざらなので、メールやファックスで調整が
うまくできない場合に最後の頼みの綱となるのが電話です。
その電話ですが、仕事であっても、私は他人に頼みたくありません。
「電話ができない」ことを個性ととらえず、「自分ひとりでは何もできない」かのように
拡大解釈する健聴者がひとりいますが、その方のおかげで不快な思いをしたくないのです。
たかが電話かもしれませんが。
この4月から電話リレーサービスプロジェクトが始まったおかげで、サービスを利用して
自分の都合だけで電話をかけられるようになり(※)、今は他人に気を使わなくていい
のが助かっていますが、今後はどうなることやら。

※まだ相手の都合で電話をかけられる段階ではない(というか、相手の都合でかけられる
 サービスをまだ誰もが思いついてない?)ので、相手にしてみたら迷惑なところは
 あるかもしれませんが。

電話リレーサービスが今以上に普及して社会的認知度が上がれば、聴覚障害者でも電話
応対できることが証明され、仕事の幅が広がるかなと期待しています。
いや、実際にそうなってほしいんですけどね!
ただ、何年もかかりそうなので、一日でも早く、家から1時間以内に通える場所に異動させ
てほしいと思っていますがね。
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阪神大震災から19年。 [雑感]

今月17日で、阪神大震災から19年が経ちます。

3年前の東日本大震災は記憶してても、阪神大震災となると、記憶が薄れてしまっている方は
多いのではないでしょうか。
(もし気分を害した方がいたら、ごめんなさい)

と、いうことで、今回は阪神大震災をテーマにした記事です。

私は関東地方出身ですが、阪神大震災が発生した当時、建物がぺちゃんこに潰されている
映像や火が燃え広がる映像をニュース番組で何度も繰り返し目にする度に大きなショックを
受けたことを今でも記憶しています。
阪神大震災を大々的に報じた新聞記事や週刊誌は何度も繰り返し読みました。
震災発生まで知らなかった兵庫県の地理も、地図を何度も眺めることで「神戸市にAという区
があってこの区は○○市寄り」「△△市には××という町がある」ことが理解できるレベルに。

私の周囲で、関西に縁のない方は、「阪神大震災といえば、神戸」をイメージされる方が
ほとんどですが、被害が特に大きかったのは、神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市、淡路島
あたりですね。
(他の地域でも被害が大きかったと聞いています。曖昧な書き方でごめんなさい。)

時々、被災者の体験談を読む方法で、「阪神大震災」というキーワードを少しでも頭の片隅に
残し続けていたつもりでしたが、神戸近郊出身である夫との結婚を機に、神戸近郊へ行く
機会が増え、阪神大震災があったという事実を強く意識するようになりました。

夫の実家は「震度7」を記録した地域にあります。
夫も「震度7」の経験者。大けがをしたそうです。
もし夫があの時に死んでいれば、私は夫に出会えていなかったわけですから、運命とは
不思議なものですね。
ちなみに、近くの公園で地割れした写真が、今も市のデータベースに保存されています。
夫の実家に泊まった当初は夜寝ていても、
「この瞬間に大きな地震が起きたらすぐに逃げられるのだろうか」
「この周辺で亡くなった人はどのようなことを想いながら亡くなったのだろうか」
などと考えてしまい、なかなか寝付けない。
当事者ではないのに、かつて激甚な災害を経験した地域に身を置いているというだけで、
雑念が頭の中をぐるぐる回るのです。

神戸近郊は、19年前に大きな地震があったことを感じさせない位、完全に復興して
います。街並みもとても綺麗。
個性あるデザインの家が多く、インテリア関係のお店が関東地方の大都市に比べると
充実していること(私の気のせいかもしれませんが)から、生活を楽しむ余裕がある位
経済的に裕福な家庭が多いのかなと想像します。
(現在の神戸市東灘区を撮影した写真が手元にあるので、載せたいところですが、
ファイル容量が大きすぎて載せられません・・・。ごめんなさい。)

何事もなかったかのように暮らしている人たちがいるなかで、未だに、阪神大震災から
立ち直れていない人たちもいるのではと思うのです。
同じ市内でも、あまり被害を受けなかった人などは何事もなかったかのように暮らして
いるが、一度にたくさんの家族を失った人は心の傷を負ったまま・・・街を通るたびに
そんな印象を受けます。

関東地方の大都市でもし阪神大震災レベルの地震が起きたら、様々な面で完全に
復興できるのだろうかと考えますね。
支援の手が差し伸べられるにしても、健常者優先で、障害者は後回し・・・になる可能
性もあるのかなとネガティブなことを考えます。

あまりたいした記事ではありませんが、19年前に阪神大震災があったという事実を
忘れてほしくなくて記事にしました。

大地震発生時の聴覚障害者に対する支援も、気になるところですが、それは整理でき
次第、記事にします。
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お久しぶりです。 [雑感]

1ヶ月遅れですが・・・、今年もよろしくお願いします。
そして、4ヶ月以上もブログを放置していて申し訳ありません。

具体的なことはまだお話できませんが、ここ数ヶ月はプライベートで急激な変化があり、
何かと慌ただしい日々を過ごしています。

そのような日々のなかで、聴覚障害者として今後どう働いていくかは常に考えていますが、
うちの自治体がカネもヒトも足りないという状況(入庁した当時より事態が悪化している気
がします)なので、この先働き続けることに夢も希望も持てない・・・というのが正直な気持
ちですね。

そもそもは、うちの自治体を選んだ自分が悪いのですが・・・。

自分をなんとか奮い立てようとはしますが、内部事情を知れば知るほど、働くことに対する
動機付けができなくなります。

久しぶりの記事なのに、ネガティブな内容で申し訳ありません。

思いついたことがありましたら、また記事を書きます。

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他人の電話中の話し声が気になる [雑感]

うちの職場には、(私にとって)電話中の話し声が大きい男性が二人いる。
二人とも私の席から2~4メートルほど離れた位置に座っている。
彼らの声は低くて大きい。
私が装用している補聴器と彼らの声の相性が良いのか、彼らの声の存在には気づきやすい。
何かに気を取られている時であっても、彼らの声にはすぐに反応してしまう。
彼らが気になるとかそういうことではないのだけど(これを書くと誤解を招きそう・・・)、
普段、人の声に飢えているので、自分が聴きやすい話し声には「どんな話をしているんだろう?」と身体がうずいてしまう。

最近は仕事に余裕があるので、彼らの電話中の話し声が気になって仕方がない。
今日も、ひとりの男性が電話している間、彼に気づかれないように・・・と、口元をチラチラと見てしまった。
(あまりチラチラと見てしまうと、不審者扱いされかねないし・・・)

口の動きで読み取れたのは、下のとおり定型的な表現のみ。
(肝心なことがいかに読み取れないかということがお分かりいただけると思う。)

「え~、あのぉ~、△※○×□★・・・ということでしょうか?」
「はい、そうですね。それでは、×○□÷★▽・・・の確認をお願いしてよいでしょうか。・・・え~、すみません。では、よろしくお願いしまぁ~す。」

残念ながら、会話に含まれる重要情報は分からなかった。
彼らとは所属する課が同じでない上に業務上の接点がないことから、私自身、彼らが日頃仕事でどのような言葉に接しているのかを知る機会がないからだと考える。
(相手が日頃から使っている言葉をひとつでも多く知ることは、口の動きを読み取る上で助けになる。どれ位助けになるかは、人によってまちまちだが。)
しかし、電話のやり取りで「確認」「お願い」という言葉が出てきたことから、何か文書の確認を依頼しているということだけは分かった。

会話に含まれる重要情報はほとんど分からないのに、口元だけは懲りずに見てしまう。
それが毎日のように続いている。
声のない世界なんて考えられないな・・・と思う。
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ブログの更新が遅れています [雑感]

以前は、聴覚障害者の働き方における課題を考えることが大変多かったのですが、最近はほとんどなくなりました。

正解が見つからない課題に必要以上に深入りしても仕方がない・・・というのが正直な気持ち。

思考に充てる余裕がないわけではありませんが、以前と違って、体力的にも気力的にも思考が持続しにくい状態になっています。また何かキッカケがあると、「う~ん」と考え込んでしまうのかもしれませんが、以前ほどは深くは考えないでしょう。

必要以上の思考は心身に負担をかけさせるという過度の心配が、思考にブレーキをかけさせる要素になっているように思います。

そんなわけで、最近は、ブログを更新していませんでした。申し訳ありません。

また気が向いたら更新しますので、それまでお待ちください。
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視力回復を意識して生活する日々 [雑感]

今年になって視力回復をテーマにしたブログや書籍を読み始めたのがキッカケで、数ヶ月前からは、一度悪くなった視力をいかにして元に戻すのかを意識しながら生活しています。

私の視力は、現在、両目とも0.1未満。

小学5年で視力低下が始まって以来ずっと、視力は一度も回復しないまま下降線をたどる状態で今日まで来てしまいました。

小学6年からメガネを使い始めましたが、使い始めた頃はまだそんなに視力が落ちていなかったこともあり、視力が進むのがイヤで、黒板の字が小さくて見づらい(これは、座席の位置によりますが。)時にメガネを使って見る...という状況でした。

しかし、中学校入学後の3年間で視力が急激に低下すると同時に乱視も強くなり、中学を卒業する頃にはメガネが手放せない状況になっていました。中学入学直後と卒業時とでは、裸眼で見る視界の色が180度変わっていました。入学直後は比較的クリアに見えていたのが、卒業時はモヤーッという見え方。ちなみに、現在もモヤーッとした見え方です。

中学時代に視力が急激に進んだ背景として考えられるのが、ストレス。
ストレスは目の血流量の減少(これが視力低下につながります)と関係していますが、実際、この時期のストレスの溜まり方は半端ありませんでした。
どの程度のストレスなのかといえば、ある程度の年齢の方が一定期間経験したら、血圧の急上昇、持病がある場合は合併症を起こす可能性がある程度のストレスですね。。。
現在も、対人関係や仕事等でストレスが溜まると感じることはありますが、この時期に比べれば1/2~1/3程度。現在感じるストレスの方が比較的軽いのではないかと思う位。

中学卒業後の数年間は、視力が安定していましたが、社会人になってからは視力が下降線をたどるばかり。「失明」の二文字が脳裏をよぎることもたくさんありました。
目が見えず耳も聞こえない方の存在は知っていますが、そういった方への支援が発展途上という現状において、いざ自分がその立場になったら・・・と思うと、不安なものがあります。

先月からは、視力回復に向けて、専門のセンターのお世話になってはトレーニングする日々。3Dイラストを見たりもしていますね。
メガネも、遠く用のメガネと近く用のメガネを作ってもらいました。
遠く用のメガネは0.7、近く用のメガネは0.3が見えるよう設定していますが、視力が回復に向かっているのか、先週の視力検査では、遠く用のメガネで1.5、近く用のメガネで1.2が出ました。そういえば、屈折度数も少し改善していました。
パソコンは毎日使っているので、日常生活の合間にしっかりトレーニングしたこと、規則正しい生活をしていること、読書の時間を減らしたことが結果に表れたのでしょうか。
まだまだですが、嬉しい結果が出ると、もっと頑張って視力を回復させないと!という気持ちになるものです。

視力回復においては、目にいかに負担をかけさせないかがポイント。
目に負担をかけないという観点で考えると、このブログも本当は止めた方がいいのでしょうが、聴覚障害に関する情報をネットで探している人たちがいることを考えると、止めようにも止められない。
(最近は、検索サイトでこのブログを見つける人が大変多くなっています)

このように、視力回復と社会貢献(聴覚障害に関する情報提供)の挟間で悩む日々なのです。
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現在の職場環境をどう感じるか [雑感]

記事「考えさせられる出来事」を書いていて思ったこと。

現在の職場環境をどう感じるかは、本人の特性(能力、性格、健康状態など)、過去に経験した職場(集団)の雰囲気という二つの要素に左右されているように思う。

なかでも、過去に経験した職場の雰囲気は大きい。
職場で働く人は、自ずと、職場が有する雰囲気に影響されることになるが、過去にどのような職場を経験したかで感じ方が違ってくる。長年、職場の人と触れ合うことで、「職場とは、こういうもの」という価値観が、頭のなかに出来上がっていることが多いからだ。一度頭のなかに出来上がった価値観はなかなか変えられない。
このため、長年、良い職場で過ごしてきた人は、現在の職場が良くない場合、自分が思い描いていたのと現時点でのギャップに思い悩むことになる。
逆に、悪い職場で過ごしてきた人は、”悪い職場”に対する免疫ができているため(挫折してしまう人も多いが・・・)、現在の職場がどうであれ、順応しやすいように思う。

かく言う私も、現在の職場環境を良いと感じないが、気にはしていない。
それは、子供の頃から、負の感情が強く居心地の悪い集団をたくさん経験してきて、対処法が自然と身についたこと、免疫ができたことと関係しているからだと、自分では分析している。

ただ、長年、悪い職場で過ごすことが、良いとは思えない。いくら免疫があったとしても、である。加齢で心身に不調が出てきたとき、悪い職場で日々を過ごすことは、身体に負担をかけさせることになるのではないか...と危惧する。

まとまりがなくて申し訳ないが、過去に経験した職場の雰囲気が一人一人違う以上、誰もが満足できる職場環境は存在しないのではないか...と思う。
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考えさせられる出来事 [雑感]

仕事の山が洪水のように押し寄せてきて気持ち悪さを感じている今日この頃。
そのなかで、考えさせられる出来事が二つありました。

まず一つ目は、同僚の死。

死因は自殺によるもの。何度か言葉を交わしたことのある人なので、死を聞かされた時は衝撃が大きかったです。遺書には仕事に関する悩みが記されていたという話ですが、その話を聞いて、「そういえば・・・」とあのことを思い出していました。

あのこととは、1カ月位前に職場で実施された職場環境に関するアンケートのこと。
アンケート回答では、職場環境を肯定的に捉える回答が大多数でしたが、一部否定的な回答もあり、そのなかに<仕事に関する悩みを、周囲の人に話しても全く理解してもらえない。息苦しい。>という内容のものが混じっていました。読んでて切なくなる内容でした。
匿名による回答なので、誰が回答したのかは分かりませんが、内容からして「もしかしたら、それを書いたのは自殺した○○さんではないか・・・?」を今でも思わずにはいられないのです。あの回答が、もし自殺した○○さんのものであったとすれば、その人は、アンケートに答えた時点で私達にSOSのサインを出していたことになります。
なぜSOSのサインに気付けなかったのだろうか?施設運営を担当する自分としては、悔むことばかりです。

これを読んでいる皆様も、身近な人が苦しさを訴えてきたら、軽く流さないでください。

もう一つは、高校時代の同級生のこと。

高校一年の時同じクラスだった女性が、偶然にも、私のいる職場に配属。
非正規職員としての配属なのですが、彼女が皆の前で自己紹介をするのを見た時は、なにか懐かしさを感じました。

が・・・、その彼女は、初日に出勤しただけで、2日目以降は全く出勤せず。
何日かして退職するという内容の連絡があり、「出勤初日で退職!?」とこちらが戸惑っている間に退職していきました。
退職に至った事情を他人から聞いて「高校時代とは大きく変わった」と思うことばかり。
高校時代は何事にも精力的に打ち込み、周囲の人からの評価も高かった彼女だったからこそ、信じられない思いがあるのです。

高校卒業後の10年間で、人は大きく変わるものなのですね。
プラス方向に変わることもあれば、マイナス方向に変わることもある。
どの方向に変わるかは、ひとつひとつの出来事で出会った人たち、置かれている環境、社会情勢、能力、健康状態・・・と多くの要素によって決定づけられるものですが、少しでも不利な要素があると、マイナス方向に変わってしまうのです。

学校生活が順調だったからといって、社会人生活も順調とは限らないのだということを感じました。
(ありきたりなことを言っている気がしますが。。。)
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