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何かに熱中してストレスを発散させることは、いじめの解決につながらない [メンタルヘルス]

先輩女性からのいじめに酷く苦しめられた一昨年は、
上位役職者やリーダー的立場にある人に相談に行って話をするたびに、プライベートの
過ごし方として「熱中できることや興味を持てることを見つけなさい」ということを言われて
いました。

「文章に訴えることで、解決するしかない」と思い、これまでの経過を整理しつつ先輩女性の
異動を願う内容の手紙を書いて彼らに読んでもらった結果、先輩女性の異動という形で、長かった
いじめに幕を引くことができました。
手紙は5000字以上に及ぶ長文だったので、読んだ彼らとしては、重い腰をあげざるを得なかった
のでしょう。

が・・・、私は今でも彼らが言うことに納得していません。
プライベートの過ごし方を彼らには全く話していないのに、プライベートの過ごし方を全面的
に否定されているようで嫌でした。
『熱中できることや興味を持てることがあれば、いじめで悩まない』というのが彼らの考え方の
ようですが、これはいじめられた経験のない人や世渡り上手な人の考え方です。
彼らは世渡り上手でいじめられた経験がないから、組織では上手くやっていけるのでしょうがね。
自殺を考えるほど深く傷ついた経験があれば、そんな考え方はしないはずです。
今思い出してもはらわたが煮えくりかえります。

私は社会に出るまでにたくさんのいじめを経験しています。
経験しているからこそ言えることなのですが、
何かに強く興味を持ったり熱中することはいじめられるストレスを発散する上では全然効果がありません。
むしろ事態が悪化するだけです。
ストレス発散を考える位なら、いじめの解決に全力を注ぐべきです。

以下、いじめの経験談です。(長い話になりますが、最後までお付き合いください)

私は学校のある平日がものすごく嫌いで、自分の好きなことに熱中できる土日や祝日、長期の休み
が待ち遠しかった位です。日曜日夕方になると、気分が憂鬱になり、バラエティー番組を見ながら
ゲラゲラ笑っていても何となく落ち着きませんでした。
複数人のいじめっ子と顔を合わせるのは大変な恐怖で、彼らからいかにして逃れるか、いかにして
接触しないかだけを考え、神経を集中させる日々。
休み時間中、両手をロープで縛られた状態で、右目に釘を入れられそうになり、失明するかもしれない
恐怖でいっぱいになった経験もあります。
(ここまでくると犯罪レベルです。教育委員会への直訴を親が考えたようですが、当時の校長が親を
脅し、事件をもみ消そうとしました。詳しくは分かりませんが、親に対して心ない言葉を浴びせたよう
です。)
大袈裟な表現かもしれませんが、当時の私の「生きる権利」はいじめっ子によって潰されたも同然です。

公立中学に通っていたこともあり、中学時代までは5科目の成績は学年上位でしたが、いじめる相手
が近くにいる、いじめる相手と同じ空気を吸っているという恐怖で、勉強には集中できませんでした。
本を読んでいても寝ていても、いじめる相手の顔がブワーッと頭に浮かんでくるのです。

本や参考書を読んでいても文字が目の前を素通りするだけなので、学力も思ったように伸びない。
苦手意識が強かった数学(算数)の図形問題を克服するにしても、集中力がすぐに散漫になってしまう
ので、克服できない。
モノの仕組みに興味や関心を向けられないことが原因なのか、理科がどうしても好きになれない。

将来はこうなりたいという願望はあったものの、当時の私は「いじめ」からいかにして逃れるかという
ことに向き合うのに精一杯で、頭の中で描く将来のイメージが灰色に見えたものです。
うつ状態にもなり、何か新しい事にチャレンジする気力もなくなりました。
こんな状態で高校に進学しましたが、本質を理解するのに必要な学力や集中力、暗記力、記憶力、
忍耐力を早い段階で身につけられなかったからか、入学後早い段階でつまずいてしまいます。
赤点を取った科目では「他の人がなぜ授業内容を理解してテスト問題が解けるのか」を不思議に思った
ほどです。
他の人にしてみれば、授業で学習したことをきちんと復習してテストに臨んだ・・・ただそれだけのこと
だったのでしょうが。
自分の考えを表現しようにも、本に書いてある文字が目の前を素通りするだけなので表現できるだけの
語彙や知識が身につかない。大変もどかしかった記憶があります。

結局、読書や勉強に集中できるようになったのは、社会人になってからです。
10代の貴重な時間を読書や勉強に割く方がいいのでしょうが、いじめからいかに逃れるかに全神経を
注力し過ぎるあまり、ムダな時間を過ごしてしまった感があります。
いじめられる恐怖に怯えることなく、読書や勉強に集中できることがどんなに幸せなことか。
人間関係のトラブルに巻き込まれることなく、受験を順調にパスして、就職も順調にできた人たちを
大変うらやましく感じたこともありました。

これを書くと「なぜ、いじめられることを気にしてたの」と思う人もいるでしょうが、当時はいじめに
ひたすら耐える方法しか思い浮かばなかったのです。
いじめる側や第三者の勝手な論理によって作り出された「いじめられる側が悪い」という言葉を
鵜呑みにしていた時期もありました。
かつては「いじめる相手に強く立ち向かえばいいじゃないか」とも言われましたが、私の場合、
言葉の暴力がほとんどだったので、執拗な相手に対しては強く立ち向かうことがいかに難しいか
を感じていました。

それでも・・・、なかには「いじめられる側が悪い」と思う人もいるのでしょうね。

今であれば、相手からの執拗ないじめをやめさせるために、長い手紙を書いて(権力のある人に)
圧力をかける、裁判を起こして慰謝料を請求する・・・など、知識と能力を駆使して相手と戦う方法を
選びますが。
もしくは、言葉で相手を徹底的に追い詰めるとか。

でも、正直なことをいえば、いじめはない方がいいです。
いじめは、程度こそ差はあれど、受ける側の「生きる権利」をまるごと潰します。
繰り返しになりますが、いじめを受けている側へのアドバイスとして、「興味あることや熱中できること
を見つけなさい」は意味を成しません。
確かに、興味あることや熱中できることを見つけたことで、いじめを乗り越えられた方もいますが、
このような方はほんの一握りです。
不登校や引きこもりになってしまい、社会に出られなくなった方もいます。
ここ数年は社会的影響力のある方(いじめられた経験のある方として有名なのが、プロボクサーの
内藤大助選手ですね)がいじめ体験談を語っていることもあり、彼らのいじめ体験談をまるごと
鵜呑みにしてアドバイスしている方もいるようです。
現在進行形でいじめられている人に何かしらアドバイスをしたいと考えるのであれば、
いじめを乗り越えた彼らの心理的なプロセスに着目し、洞察することで、アドバイスをしていただきたい。
それができなければ、アドバイスをされても迷惑です。

厳しいことを書き連ねてきましたが、数えきれないほどのいじめを受けた経験があるからこそ、
そのようなことを強く思うのです。

私もそうなのですが、いじめられた経験があり、いじめられる側の心理が深く理解できる、そして、
どのような行動を取れば心理的に立ち直れるのか・・・という具体的なアドバイスを現在進行形で
いじめられている人は望んでいると思うのです。

ただ、残念ながら、そのようなアドバイスができる人材はなかなかいません。

繰り返しになりますが、いじめが起きたら、上位的立場にいる方はいじめを解決することに全神経を傾ける
べきです。
組織や集団を運営・管理している以上、他の課題を抱えている状況でいじめを解決するのは面倒に
感じられることでしょう。
まさかとは思いますが、上位的立場にいる方には「あんないじめがあることを人事に知られたら、
俺達の人事評価が下がってしまう」と思っている方も多いのではないかと思います。
いじめがないことを前提に、組織や集団を運営・管理することを考えているのであれば、その考えを
今すぐにでもあらためていただきたい。
いじめがあることを前提に運営・管理し、いじめが発生した場合はいじめの起こるプロセスを分析し
原因を抽出する努力、全面的な解決に向けた努力はして欲しいものです。
(私の場合、上位的立場の人達がこの努力を怠っていたので、長い手紙を書きましたが・・・)
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阪神大震災から19年。 [雑感]

今月17日で、阪神大震災から19年が経ちます。

3年前の東日本大震災は記憶してても、阪神大震災となると、記憶が薄れてしまっている方は
多いのではないでしょうか。
(もし気分を害した方がいたら、ごめんなさい)

と、いうことで、今回は阪神大震災をテーマにした記事です。

私は関東地方出身ですが、阪神大震災が発生した当時、建物がぺちゃんこに潰されている
映像や火が燃え広がる映像をニュース番組で何度も繰り返し目にする度に大きなショックを
受けたことを今でも記憶しています。
阪神大震災を大々的に報じた新聞記事や週刊誌は何度も繰り返し読みました。
震災発生まで知らなかった兵庫県の地理も、地図を何度も眺めることで「神戸市にAという区
があってこの区は○○市寄り」「△△市には××という町がある」ことが理解できるレベルに。

私の周囲で、関西に縁のない方は、「阪神大震災といえば、神戸」をイメージされる方が
ほとんどですが、被害が特に大きかったのは、神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市、淡路島
あたりですね。
(他の地域でも被害が大きかったと聞いています。曖昧な書き方でごめんなさい。)

時々、被災者の体験談を読む方法で、「阪神大震災」というキーワードを少しでも頭の片隅に
残し続けていたつもりでしたが、神戸近郊出身である夫との結婚を機に、神戸近郊へ行く
機会が増え、阪神大震災があったという事実を強く意識するようになりました。

夫の実家は「震度7」を記録した地域にあります。
夫も「震度7」の経験者。大けがをしたそうです。
もし夫があの時に死んでいれば、私は夫に出会えていなかったわけですから、運命とは
不思議なものですね。
ちなみに、近くの公園で地割れした写真が、今も市のデータベースに保存されています。
夫の実家に泊まった当初は夜寝ていても、
「この瞬間に大きな地震が起きたらすぐに逃げられるのだろうか」
「この周辺で亡くなった人はどのようなことを想いながら亡くなったのだろうか」
などと考えてしまい、なかなか寝付けない。
当事者ではないのに、かつて激甚な災害を経験した地域に身を置いているというだけで、
雑念が頭の中をぐるぐる回るのです。

神戸近郊は、19年前に大きな地震があったことを感じさせない位、完全に復興して
います。街並みもとても綺麗。
個性あるデザインの家が多く、インテリア関係のお店が関東地方の大都市に比べると
充実していること(私の気のせいかもしれませんが)から、生活を楽しむ余裕がある位
経済的に裕福な家庭が多いのかなと想像します。
(現在の神戸市東灘区を撮影した写真が手元にあるので、載せたいところですが、
ファイル容量が大きすぎて載せられません・・・。ごめんなさい。)

何事もなかったかのように暮らしている人たちがいるなかで、未だに、阪神大震災から
立ち直れていない人たちもいるのではと思うのです。
同じ市内でも、あまり被害を受けなかった人などは何事もなかったかのように暮らして
いるが、一度にたくさんの家族を失った人は心の傷を負ったまま・・・街を通るたびに
そんな印象を受けます。

関東地方の大都市でもし阪神大震災レベルの地震が起きたら、様々な面で完全に
復興できるのだろうかと考えますね。
支援の手が差し伸べられるにしても、健常者優先で、障害者は後回し・・・になる可能
性もあるのかなとネガティブなことを考えます。

あまりたいした記事ではありませんが、19年前に阪神大震災があったという事実を
忘れてほしくなくて記事にしました。

大地震発生時の聴覚障害者に対する支援も、気になるところですが、それは整理でき
次第、記事にします。
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「誰かの役に立てる」という確信 [メンタルヘルス]

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

さて、本題です。

ここ数日、「誰かの役に立てる」という確信は、何か行動をしたり継続させる上での強いモチベーションに
なるということに気づかされました。
どのような形であれ、自分が行動することによって「誰かの役に立てない」ことを確信している場合は、
何か行動する気になれないのです。

現在の私にとって気が進まないのは、同窓会や職場の飲み会、他人(※家族除く)との協働作業ですが、
根底には「自分が行動したところで、何になるんだ!?」「自分がいることで、何の役に立てるのか」という
ネガティブな感情がずっと渦巻いています。

学校時代の同窓会が立て続けに行われた昨年は、「欠席」の意思を表示し続けました。
同級生との楽しい思い出がほとんどないので、”過去の人達”になりつつある同級生と近況を報告し合ったり
思い出を懐かしむ気持ちが全くありません。
主催者側にしてみれば、会を催し参加者をひとりでも多く集めることで、過去の思い出を共有できる、人脈
作りにつなげられる、「会を催した」という事実が評価されるなど、美味しい事づくしなのでしょうが。
同窓会や飲み会に限ったことではありませんが、健聴者だけが集まる場で、参加者をとにかくもてなそうと
するサービス精神たっぷりの主催者には一度たりとも会ったことがありません。
これ書くと、「自分勝手なことを言うんじゃない」「じゃあ、あなたが催す側になればいいじゃないの」と言われ
そうですが、参加者、主催者のどちらの立場になるにしても、複数人の会話に加われないようでは、「あなたは
役に立たなくてもいい」「あなたはいなくてもいい」と言われているようなものですからね。

そして、他人との協働作業・・・。
具体的なことは書けなくて申し訳ないですが、現在の職場では、協働作業がとにかく多い(これ言うと、「どこ
でも同じようなもんだ」と言われそうですね)。
業務分担上の境界線が曖昧なせいか、自分ができることであっても、他人が先回りしてやってしまうことが
あります。
“気が利く””率先して行動できる”という行動は人事面ではプラスの評価につながりやすいので、これを意識
してか、先回りしてやってしまう人がいるのです。無意識のうちに気を利かせている、親切心のつもりでやって
いる人もいるのかもしれませんが、先回りされた側としては不快です。
最近は気が短くなってきたからか、不快な行動をされたら、顔は笑っていても「あなたたちができるんだったら、
私はいなくてもいいのね!」などと内心では不機嫌になります。
業務分担上の境界線をどこで引けるかどうかは、まとめる立場にいる人の資質に左右される要素が大きい。
彼らに人の能力を見極める力が足りないのか、適当に業務を割り振っている印象があります。
偉そうなことを言っていると思われるかもしれませんが・・・、
彼らは個々の業務に求められるスキルや知識を因数分解のごとくあぶり出す能力が低い印象。
知識の幅が狭く偏っていることからくるのか、平然と「○○さんに、こんなことができるの?」と言う人も。。。
このような人たちが上の立場にいることで、業務の割振り方次第では部下や同僚の「誰かの役に立ちたい」
という気持ちをつぶすのだ、ということを強く感じます。

私自身、昨年は「退職」の二文字が何度も頭を過ぎりました。
私を必要としてくれている人の存在を時々感じることで、何とか仕事は継続できていますが。

職場や何かの集まりに限らず、「誰かの役に立てる」という強い確信は、生きていく上で必要なことだと思うの
です。
例えば、幅広い知識があって話の引き出しが多く、ひとりひとりに合わせた話ができる。人を癒したり和ます
ことができる。料理が得意で、どのようなものでも美味しく作って食べさせることができる。・・・何でもいいの
です。とにかく、「あなたがいてくれて良かった」と思われれば「誰かの役に立てる」という強い確信が持てる
のです。
もしその確信がなければ、抜け殻の状態になってしまうでしょう。
一人一人、与えられる役割は違いますが、その役割を意識して行動できるかどうかが、「誰かの役に立てる」
という強い確信につながるだけでなく、円滑な人間関係の構築にも結びついていくのだと思います。
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