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考えや思いを言葉にしにくい [雑感]

久々の記事です。建設的なことが書けなくて申し訳ありませんが、日々思っていることを書きます。

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聴覚障害からくる制約について、日々考えはしますが、諦めモードに入ってきているからなのか、
最近は考えや思いを言葉にしにくいと感じます。
「諦めが肝心」とはいいますが、少しでも強い気持ちを持ち続けないと、今後、考えや思いを言葉
にできなくなる日がやってくるのではないか・・・そんな危機感を抱いています。

そのような日がいつかやってきた場合、考えられる”最悪の事態”は、自分が置かれている状況
に対して無頓着になり、自分の障害がどのようなものかを言おうにも思うように適切な表現が口を
ついてこない・・・といったものでしょうか。

たとえば、ノートテイクなどの情報保障を必要としているのに、なぜ必要なのかを健聴者に対して
適切な表現で言うことができなければ、情報保障を受ける権利を(健聴者によって)奪われてし
まうことがあり得るのではないかと思っています。
このブログでも以前に何度か書いてきた気がしますが(書いてない?)、聴覚障害について分か
ったつもりになっている健聴者ほど、タチが悪いです。現に、うちの自治体にこのような健聴者
がいますが、恐ろしさを感じます。なぜこういう思考回路になるのか?が分からない。
失礼な言い方ですが、存在自体が疎ましく感じます。
思ってはいけないことなのでしょうが、「早く消えろ!」と・・・。
このような健聴者に対しては、説明の仕方や反論の仕方についてこれまで頭を悩ませつつ、
何とか向き合ってきましたが、正直言うと、何か問題に直面しても、徹底的に話し合って解決したい、
分かってもらいたい気持ちはありません。
このような健聴者にエネルギーを費やせるほど、時間はありませんから。

私は、ノートテイクなどの情報保障が自由に受けられ、いつでもどこでも(相手の話が)分かることに
重きを置いていますが、私が何かをきっかけに自分の障害や情報保障の必要性を説明できなくなる
ほど能力が低下すれば、心ない健聴者に情報保障を受ける権利を奪われるのではないかということ
を危惧しています。こんなことを危惧するのは、内心では変なことだと自分では思っていますがね・・・。

本来は、健聴者にいちいち言わずとも、情報保障を受けられる環境が整っているべき。
どう言うかを考えることで、説明能力や表現力が鍛えられるという見方をする人もいるのでしょうが、
私としては「疲れる」という気持ちが一番大きいです。
健聴者にしてみれば、聴覚障害者の話を聞くのが「面倒くさい」「新たな視点を得るどころか、自分の
考えを否定された気分」なのでしょうが。

何も言葉に発せずとも、考えなくても、すんなりと受け入れられる状況がどんなに一番いいことか。
「言葉にしないと、伝わらないよ」と言われそうですが・・・、言葉にして何かを伝えようという気持ちが
強く持てるのは、相手に対する信頼感があってはじめてできること。

結局のところ、言葉にすることよりも、健聴者に何かを気付かせる、それしか方法がないのではない
かと思っています。
でも、何かを気付かせるには、聴覚障害者が何か命に関わる危険な事態に直面するか、命を落とす
など重大なことが起こらない限りないのでしょうね。
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