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生まれ育った市の教育環境に不満。 [雑感]

新居探しもようやく落ち着き、手続きがうまくいけば来年春には引っ越せるというのが現在の
状況です。

新居をかまえる可能性が高い場所は、私が生まれ育ったA市。

大都市ですが、私はその市は正直なところ好きでありません。

「じゃあ、別なところに引っ越せばいいのでは?」という声が聞こえてきそうですが、
新居を探すにあたり、夫の職場と私の職場の中間地点という条件だけは譲れず、その条件に
ぴったり合うところがたまたまA市だった。そんな理由で、A市に引っ越す可能性が高いのです。
もし私が専業主婦になっていたら、絶対A市は選ばなかったでしょう。
A市に住まいをかまえることは、当初、選択肢から外していましたし。

A市は通勤や生活面での利便性は大変高い市です。
しかし、長年A市で過ごしてきた私としては、聴覚障害者や聴覚障害児を取り巻く教育環境には
不満があります。
10数年も前からなので、市のアンケートがあった時には、教育環境の充実について要望を
出していた位です。

なぜ不満を感じるようになったのか。

10数年も前の学生時代に原点があります。

高校を卒業するまでは、A市に住む聴覚障害者としか交流がなかったことで、私は聴覚障害者
のコミュニケーション方法や学力について下のようなイメージを持っていました。

重度難聴者は、発音が不明瞭になる傾向がある。
一方、中度難聴者は最低限の発音指導でも発音の明瞭さを維持しやすい。
ただ、学力は難聴の程度に関係なく相当努力しないとつきにくい。

そのイメージが、大学サークル等を通して、様々な聴覚障害者と交流していくうちに覆されたのです。

私が出会った聴覚障害者は、重度にもかかわらず、発音が明瞭で、インテリ。勉強とスポーツの
両方が得意で、自分にも自信がある。そんな人が多かったように思います。
(悪い点を挙げるとすれば、彼らの共通点として、人に優劣をつけたがり、自分より能力的に
劣っている人を見下す傾向があったように思います。)

発音の不明瞭な私は、彼らと出会うたびに、ほぼ同じ時期に人生を歩んでいる自分と彼らとでは、
「どこ」で「どの部分」で差がついてしまったのか・・・ということをずっと考えていました。
今でも、時々、考える位です。

学力は適切な方法でがんばれば身につくものですが、発音だけは本人の努力で
どうにもなるものではありません。身につけられる時期が幼児期~小学校低学年と限られて
おり、その時期にきちんと訓練ができないと、発音はずっと不明瞭なままなのです。


こう書くと、「発音が不明瞭でも、手話というコミュニケーションがあるではないか」とお叱りを
受けそうですが。

私自身、発音の明瞭さは、相手にいかに良い印象をもってもらえるかどうかという点で大変重要な
ことだと考えています。
サラリーマンやOLであれば、話す内容に中身がなくても、発音が明瞭であることで、いかにも説得
力のある話をしているかのように印象操作ができます。
また、自分に自信があるかのように振る舞えることもできます。
笑顔も大事ですが、「うまく話せないのに、笑顔」では人によっては軽蔑の対象になりやすいの
ではないかと考えます。

過去の記事とも重複しますが、私は、自分の発音の不明瞭さのために人生で数えきれないほど
の損をしてきたという思いが常にあります。

成人後、発音指導をしてくれる公的機関を探しましたが、A市には残念ながらありませんでした。
お隣のB市でたまたま見つけた公的機関は、本来なら、B市民ではない私は指導対象外ですが、
そこにいた社会福祉士の方に相談したところ、対象外の私でも発音指導をしていただけることに
なりました。
重度難聴者が成人後、発音を大きく矯正するのは大変不可能ということだったので、約半年間
での指導で終わりましたが。
担当の言語聴覚士とは、発音指導の合間にも雑談しましたが、A市の発音指導体制が整って
いないという現状をお話したところ、絶句されたことを今でも思い出します。

大都市であるA市であれば、多くの人が、聴覚障害者や聴覚障害児を取り巻く教育環境が充実
しているものというイメージを抱くのではないでしょうか。
残念ながら、そうではありません。

聴覚障害者や聴覚障害児の教育で重要なのは、適切に指導してくれる公的機関の存在、
指導者の熱意。
A市は、公教育のレベルが大変低いからか、A市全体の教育に対する意欲も低く、そのことが
聴覚障害児教育にも影響しているのだろう・・・と、他の地域で育った聴覚障害者の体験談を
見聞きするたびに思います。
家庭教育も重要ですが、公的機関や良い指導者の存在なくして、聴覚障害者や聴覚障害児
の将来を考えた教育はできません。

「別に、公的機関に頼らなくてもいいのではないか」という声も聞こえてきそうですが、
裕福でない家庭の場合、教育を近くの公的機関に頼るしかないのです。
それだけ、公的機関しか選択肢がないのです。

私は幸いなことに働けている身ですが、自分の子ども時代を思い出すたびに、A市で適切な
教育を受けられなかった過去に対する悔しさを感じます。
もし自分に子どもができ、その子どもに聴覚障害があることが分かったときは、A市で教育を
受けさせることは避けるでしょう。

適切な時期に適切な教育を受けたかどうかが、その後の人生を左右するからこそ、自分が
住む地域の教育環境が充実していることの必要性を強く感じます。
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