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会話の輪に入れないつらさ [メンタルヘルス]

久々の記事投稿です。
今回は、私自身、思っていることをまとまりがない状態でパーッと吐き出したい目的での記事投稿なので、短文な上にまとまりがなく申し訳ありませんが、どうかご了承ください。ちなみに、これからは今回のような記事を書くことが多くなるかもしれません。

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聴覚障害者は健聴者の会話の輪に入れない。
それは、聴覚障害者にとって精神的に辛いこと。

・・・

それがどうしたというのか?
健聴者でも会話の輪に入れないことはあるのだから、会話の輪に入れなくても別に気にすることではないか?

・・・そんなことをまず思う健聴者は非常に多い。

でも、そのように思うこと自体が問題。

健聴者が会話の輪に加わっている最中、聴覚障害者はいないものとして扱われるからだ。
聴覚障害者の存在なんて、健聴者の頭の中からすっぽり抜け落ちてしまう。

確かに、聴覚障害者がほとんどいない所で、健聴者がたった一人の聴覚障害者の存在を意識して会話するとなると、健聴者は意識する余り、リラックスして会話できないというデメリットがある。

会話はどのような目的であれ、その場の雰囲気作りとしての役割も担っている。
また、何気ない会話を通して集団の雰囲気作りに貢献しているかどうかは、人間性に対する評価にもつながる。
これが職場の場合、協調性という観点での人事評価にもつながる。

なお、聴覚障害者を意識する余りリラックスして会話ができなくなる健聴者は、聴覚障害者に慣れているかどうかは関係ない。どちらかといえば、自分の話ばかりしたがる人に多いように思う。
また、そのような人はどこにいっても会話量が多いように思う。

なぜそんなに自分の話をしたがるのか。そんなに会話量に不満があるのか。

最近では、聴覚障害者の存在を全く意識しないで自分の話をしたがる人の存在が疎ましい。
「早くいなくなーれ」と何度思ったことか。

他人に責任転嫁をしてはいけないのでしょうが、原因を作ってる人を特定するたびに溜息をつく日々です。

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