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飲み会の欠席について、理由を伝えてみた [コミュニケーション]

来月、課の忘年会が行われるみたいなのですが、もし行われるとしたら、欠席するつもりでいます。

課の飲み会における会話の流れはほぼ固定されており、中心的人物が喋ることに出席者全員が合わせるような形で会話が進行していく流れになっているため、会話に参加したくても入り込む隙がないのです。
今まで、誰か隣に座っている人と一対一で会話できるようなことが多くあれば、出席に対して前向きな気持ちになれますが、会話の流れの固定化で誰かと一対一で会話できる可能性がゼロに近いかもしれないことを考えると、自分が出席しても意味がないのではないか・・・と思ってしまいます。

おそらく他の聴覚障害者も同じかと思うのですが、私の場合、人の喋っていることがすんなりと理解できるのは、話し手が私の存在をしっかりと意識して話し方に配慮してくれた時のみに限られます。
話し手が配慮してくれるのは一対一の会話の時がほとんどなので、多人数での会話では話し手の配慮は期待できそうにもありません。

それに、人の喋っていることが分からない...というのは、精神的に疲れるものです。
健聴者は、飲み会のような場では、職場に関係した情報を共有したり意見交換し合うことで、出席者全員の一体感や連帯感といったものを深めていくことができるのでしょうが、最初から会話の輪に加わることができない自分は情報の共有ができないので、情報量では周囲の人と差がつくばかりです。
周囲の健聴者が100の情報を持っているとしたら、私が持っている情報量はおそらく1に達するかしないかといったところでしょうか。
情報の共有ができないことに加えて、差がついていることに対して、何も感じないはずがありません。
疎外感や劣等感、そして、悔しさ。
このようなマイナスの感情は、一定期間続けば、心身面に悪影響を及ぼします。
何か熱中できることで一時的にマイナスの感情を紛らわすことはできるかもしれませんが、
自分にとってプラスにならない飲み会に出席する限りは、生じては消滅・・・の繰り返しが続くたびに、
鬱々とした気分になってしまうのです。

と、いうわけで、今日、(もし行われることになったら)欠席したいことについて、理由を上司にメールで伝えておきました。

以下が、メールで書いた内容です。(少し表現を変えています。)

欠席を希望する理由を、以下にて説明します。

理由は、『会話の流れに関する問題』にあります。

××課員で構成される飲み会は、今までに参加した印象では、一つの長テーブルを全員で共有することで会話内容を共有するパターンができあがっています。

このパターンで会話が流れる場合、その場の会話や雰囲気を楽しむことが目的だからか、構成メンバーの話し方も聴こえる人だけが前提にしたものになりやすく、人の喋っていることがまったく分からない自分は蚊帳の外に置かれてしまいます。

人の喋っていることが分からなければ、「もう一度言ってください」と言えば済むものかもしれませんが、上述した会話パターンは、

(1)ひとつひとつの何気ない会話に連続性があること
(2)発言の方向があちこちに飛び散ること

の特徴があることから、話の途中で私が「分からない」「もう一度言って」等と言おうものなら、その場の雰囲気が壊れるように感じます。(これは、過去の経験から感じていることです)

一時、手話通訳や筆記通訳の派遣も考えましたが、上述した会話パターンに通訳者が対応できるのか疑問に思っています。
通訳者でさえ、発言の方向があちこちに飛び散ると、誰が喋っているのか分からなくなる位ですから・・・。

また、人の喋っていることがまったく分からない状態の下で何分間も過ごすことは、皆さんが思っている以上に精神面で大変負担がかかるものです。
程度としては、日本語しかできない人が、日本語がまったく通じない国で生活する時に感じるものと同程度のものですね。
少なくとも、飲み会で提供される食事の美味しさで吹き飛ばせる程度のものでないことだけは確かです。

・・・(以下、略)・・・



上司からの返事はまだありませんが、どんな人の話にもきちんと耳を傾ける、人間的に大変できた方なので、今回のメールはきちんと読んでくれると思っています。
(上司が人間的にできた人でなければ、こんなメールは出さないと思います・・・)

以上ですが、この記事が飲み会に参加したくない聴覚障害者の参考になれば幸いです。
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同障者

はじめまして。こちらのブログを時々閲覧しております。
忘年会に限らず飲み会が集中するシーズンは憂鬱です。会話にかかわれない、「居るだけ」がどれほど苦痛なのかはわかってもらえません。なかなか自分が経験していないことについては想像力を働かせることができないようです。

情報保障がない飲み会、お金を払っても欠席したいところです。

by 同障者 (2011-11-22 21:11) 

ふよこ

同障者さん、はじめまして。コメントをありがとうございます。
返信が大変遅くなってごめんなさい。

>なかなか自分が経験していないことについては想像力を働かせることができないようです。

そうですね。

ただ、これは「耳が聴こえない(聴こえにくい)」ことだけに限られることなのかな・・・と最近になって思い始めています。

私の職場には通院治療のため勤務時間が短い方が数人いますが、そのような方のほうが耳が聴こえない・聴こえにくい方に比べると、理解してもらいやすいんですよね。
周囲の人々も自然に受け入れている雰囲気がありますし。

結局のところ、"痛み"を自然に想像できるかどうかの差だと思います。
通院治療をしている人には"(病気からくる)感覚的な痛み"を何気なく想像するのに対して、耳が聴こえない・聴こえにくい人には"(耳が聴こえない・聴こえにくいことからくる)精神的な痛み"を想像できない。

なお、想像力の度合いに差がついてしまうのは、
「自分はああなりたくない」という強い気持ちを潜在的に感じるかどうかといったことにポイントがあるのかもしれません。(通院治療が必要になるほどの病気になると、死をイメージしてしまう方が多いでしょうから。)
by ふよこ (2011-11-27 00:40) 

同障者

>結局のところ、"痛み"を自然に想像できるかどうかの差だと思います。
なるほど、言われてみればその通りです。気がつきませんでした。
同じ課には下肢障害者がいますが、誰が見てもわかるので、理解してもらっているようです。というか、下肢障害を持っていてもコミュニケーションに困らないので、受け入れてもらいやすい面があると思います。


>通院治療をしている人には"(病気からくる)感覚的な痛み"を何気なく想
>像するのに対して、耳が聴こえない・聴こえにくい人には"(耳が聴こえな>い・聴こえにくいことからくる)精神的な痛み"を想像できない
よその部には人工透析を受けている方がいて、やはり短時間勤務です。
こちらも周りに理解してもらっていますね。

聴覚障害が間抜けかつ悲痛な障害だと思います。見るからには行動が不便ではないので、消極的な放置に晒されやすいのです。悪意あっての放置ではないにせよ、本人は透明人間化していく悲哀を思う存分味わっていく。声高な主張すると、「聴覚障害はわがまま。面倒」との悪評を招くので沈黙を保たざるを得ない羽目に追い込まれます。

聴覚障害者は耳が痛む上に聞こえないならまだしも多少は同情してもらえるかもしれません、と考えております。


by 同障者 (2011-11-28 20:41) 

ふよこ

コメントをありがとうございます。
返信が遅くなり申し訳ありません。

>聴覚障害が間抜けかつ悲痛な障害だと思います。見るからには行動が不便ではないので、消極的な放置に晒されやすいのです。悪意あっての放置ではないにせよ、本人は透明人間化していく悲哀を思う存分味わっていく。声高な主張すると、「聴覚障害はわがまま。面倒」との悪評を招くので沈黙を保たざるを得ない羽目に追い込まれます。

同障者さんがおっしゃることには強く同意します。
確かに、声高な主張は悪評を招くところがありますよね。

私も、声高な主張ではないのですが、先日飲み会についての話を同僚としていたところ、「我がまま」と強い口調で非難されました。
その同僚は、自分の短い"ものさし"で全てのものが測れると考え、事の背景を全く考えないところがあるので、「我がまま」と言ったのだと思いますが、私としては我慢できない言葉だったので、事情を事細かに話すことで「あなたが見ていることは全てではない。」ということを強調しておきました。

私は、「聴覚障害は我がまま。面倒」と感じる人のパーソナリティに問題があるのだと思っています。
聴覚障害者が感じる悲哀を想像しようとしない姿勢。受け止めようとしない姿勢。話を聞こうとしない姿勢。自分の意見が全てだと考える姿勢。
・・・そういった姿勢が、私としては腹立たしいです。
そのような人に対して強く思うのは、なぜ聴覚障害者本人の気持ちを想像する前に、(聴覚障害に対する)自分の見方や考え方を優先してしまうのか?といったこと。
ただ、そのような人でも、他の障害者には親切なところがあったりしますから、聴覚障害者に対して、(聴覚障害者は)自分の思いや考えを言葉で上手く伝えられるはずがないという固定観念を持っていることが、自分の見方や考え方を優先してしまうところにつながるのかなということも考えてしまいます。考え過ぎかもしれませんけど。

>聴覚障害者は耳が痛む上に聞こえないならまだしも多少は同情してもらえるかもしれません、と考えております。

確かに・・・。
耳のなかが痒くなることはあっても、耳が痛むことはなかなかないですよね。どうすれば同情していただけるのか、考えてしまいます。
by ふよこ (2011-12-04 00:41) 

ふよこ

ごめんなさい。訂正です。

>そのような人に対して強く思うのは、なぜ聴覚障害者本人の気持ちを想像する前に、(聴覚障害に対する)自分の見方や考え方を優先してしまうのか?といったこと。

誤)なぜ聴覚障害者本人の気持ちを想像する前に、・・・(略)・・・といったこと。

正)なぜ聴覚障害者本人の気持ちを想像することより、・・・(略)・・・といったこと。
by ふよこ (2011-12-04 00:47) 

同障者

お久しぶりです。

確かに、ほかの障害者に対して親切でも聴覚障害者には不親切になりがちな人がいます。
見えない障害に対して「たいしたことじゃない」と上っ面だけを見て判断してしまっていると思います。しかも、なぜかそういう人って思い込みが激しかったりするので、トホホな感じになります。

私たち聴覚障害者も長年ほったらかしにされてきたので自分のニーズを訴えるのが不得手になり勝ち。泣き寝入りしないで粘り強く頃合を見計らって
理解を求めるしかないと思いますね。
by 同障者 (2011-12-10 09:32) 

ふよこ

コメントをありがとうございます。
いつも返信が遅くてごめんなさい。

>見えない障害に対して「たいしたことじゃない」と上っ面だけを見て判断してしまっていると思います。しかも、なぜかそういう人って思い込みが激しかったりするので、トホホな感じになります。

確かに、そうですね。。。

上っ面で判断する人について、私が思うのは、聴覚障害分野の奥深さを知らないのではないか?ということですね。
聴覚障害分野も学問として確立されていることから、様々な研究がなされている上に、聴覚障害に関する専門書も出ていますが、上っ面で判断する人はそうした事実を知らないのでしょう。
専門書は、よほどの物好きでないと手を出さないと思いますし。

ちなみに、私を「我がまま」と非難した同僚(以下、Aとします)は、聴覚障害に関することは学校の授業で少し勉強したと言ってましたが、聴覚障害を持たない教師が授業で教えることといえば、表面的な部分だけ。
(聴覚障害を持たない教師だと、表面的な部分しか教えられないのが現状です。)
この表面的な部分を聞いて学習した全てが、Aが聴覚障害について持っている知識の全てらしい(聞いた感じでは)のですが、Aは本気で「自分は聴覚障害について学習した経験があるから、自分は聴覚障害のことなら何でも分かる」と思っているみたいなのです。
また、自分の持っている知識の範囲内で、聴覚障害について何でも意見できると思っているところがあります。
私としては、「君が知っていることが全てではないんだよ!」と文句を言ってやりたくなりますが・・・、Aには物事をもっと深く知ろうという知的好奇心が欠けているようにみえるため、文句の言いようがないです。

極端な話かもしれませんが・・・、物事を上っ面で判断する人には、Aのような傾向があると感じているのが実のところですね。。。

>私たち聴覚障害者も長年ほったらかしにされてきたので自分のニーズを訴えるのが不得手になり勝ち。泣き寝入りしないで粘り強く頃合を見計らって
理解を求めるしかないと思いますね。

同意します。

ただ、「粘り強く頃合いを見計らって理解を求めるしかない」ことについては、少し心配な部分があります。
粘り強く理解を求めていくことについては、かなりの精神力や忍耐力が必要だと思っていますが、私自身、どこまで精神状態が持つのかという思いが常にあります。
このため、理解を求めるだけでなく、人々の興味や関心をいかに引き寄せられるか、知的好奇心をいかに刺激できるかといった部分も重要になってくるのだろうと思っています。
(その意味では、かつて話題になった「五体不満足」は、自分と違った人に対する興味や関心を引き寄せるのに成功した例ですね。)
by ふよこ (2011-12-18 19:07) 

ふよこ

訂正です。

>粘り強く理解を求めていくことについては、かなりの精神力や忍耐力が必要だと思っていますが、私自身、どこまで精神状態が持つのかという思いが常にあります。

誤)粘り強く理解を・・・(略)・・・私自身、どこまで精神状態が持つのかという思いが常にあります。

正)粘り強く理解を・・・(略)・・・私自身、どこまで良い精神状態を持続させられるのかという思いが常にあります。
by ふよこ (2011-12-18 19:14) 

BMX

始めましてBMXと申します。
ブログ読ませて頂いています。

私には10年以上同じ職場で働いている、聴覚障がいの同僚がいます。
もとはその同僚との、仕事上でのコミュニュケーションのアドバイスにならないかと、ブログを読み始めました。
日常のコミシュケーションなら問題ないのでが、仕事での密な情報のやり取りとなると、いまだに苦労しています。

忘年会、飲み会につてですが、同僚は誘ったら予定が無い限り来てくれます。
本人もそのような時間が、お互いの情報交換や信頼関係を築く、大事な時間だと思っているようです。

健常者からすると「聴覚障がい者だから・・・」、「痛みをわからない・・・」と言われると、どう対応して良いのか困ってしまいます。
※これは他の障がいの方でも同じです。
ふよこさんが「聞こえる事の辛さは分からないだろ」って言われたら困りますよね?
“私達とは違う”という事を主張しても、結局答えは出てこないと思います。

時間をかけてお互い理解し合い、解決してく問題だと思っています。
何が言いたいのか、ぼやけた文章ですいません。
by BMX (2011-12-26 12:56) 

ふよこ

BMXさん、はじめまして。コメントをありがとうございます。

>日常のコミシュケーションなら問題ないのでが、仕事での密な情報のやり取りとなると、いまだに苦労しています。

そういう方は多いみたいですね。
"仕事での密な情報のやり取り"で私がまず思うのは、お互いの問題ではないか?ということですね・・・。

これがスムーズにいくには、(1)知識量、(2)知識の概念や定義、(3)対象となる事柄の背景の理解、(4)表現力(ここでは、対象となる事柄を言語化して説明できる力を意味します) のレベルがお互いにほぼ一致していることが重要、と私は考えています。

レベルに差があれば、(レベルで)上に位置する人が(レベルが)下の人の目線に合わせて分かりやすく話すなど情報伝達における工夫が必要です。
しかし、上に位置する人がいつも下の人の目線に合わせている状況だと、下の人はそれに慣れてしまい、知識のさらなる吸収や背景の理解に対する努力を怠りがちになる・・・そういった問題があるように思います。

下の人の向上心、そして、上に位置する人が下の人のモチベーションを上手く高められるかどうかが、"仕事での密な情報のやり取り"をスムーズにする上で大事なことなのかなあと思いますね。

(過去の経験から考えたことを書いてみました。余計なお世話でしたら、ごめんなさい。)

>健常者からすると「聴覚障がい者だから・・・」、「痛みをわからない・・・」と言われると、どう対応して良いのか困ってしまいます。

これは、この記事に対するコメントですよね?
もしそうならば・・・と仮定してお話しますが(もし違っていたらごめんなさい)、
実は、上司とはメールを出した後、メールのやり取りがありました。
そのなかで、飲み会のような場の進行におけるシミュレーションをしながら、こういうシミュレーションならば聴覚障害者も参加しやすいのではないかということを説明しておきました。
この説明内容は、自分としては前向きなものだと思っていますので、できれば皆さんにもお伝えしたいところですが、全然お伝えできていない状況です。ごめんなさい。

「どう対応して良いのか困ってしまいます。」とありますが、
私としては、ありのままに受け止めていただくことも必要と思っています。
こういう話もあるんだ、こういう見方もあるんだ・・・という程度で。
BMXさんは「どう対応して良いのか・・・(略)・・・」のコメントを残してくださっていることから、おそらく、"困っている人には手を貸してあげたいが、どうしたらいいのか分からない"という心優しい方なのだと想像します。
しかし、困る必要はありません。
まずは事態を静観し、その上で何らかの行動が必要だと思ったら、知識を得る、事態に対する分析をしてみる・・・などをしてみて具体的な行動につながるようなヒントが得られたら、具体的に行動を起こす...そんな感じで良いのではないでしょうか。
(知識の習得や、事態に対する分析をするにしても、まずはベースとなる情報がどれだけ手元にあるかも考える必要がありますが。。。)

ちなみに、私は知恵のある方や前向きに問題を捉えようとする方が一緒になって考えてくださるのがありがたいですね。自分ひとりの力では限界がありますから。

>“私達とは違う”という事を主張しても、結局答えは出てこないと思います。

確かにそのとおりですが、まずは主張ありきです。
主張して、主張のなかで"どう違うのか"を明らかにしていって、違いを生み出している原因もさらに明らかにしていく・・・そんな流れで、答えは出せるものと私は考えています。
ちなみに、私は、この記事もそうですが、ブログ全体としては、"どう違うのか"を明らかにしているつもりです。(これからもそのつもりでいます。)
"違いの原因"はまだまだ分析しきれていないため、原因となる事柄へのうまい対処法は残念ながらほとんど書けていません。
ただ、感情的な書き方をしているところがありますので、ただ単に"私達とは違う"ということを大きく主張しているようにも受け取れるのでしょうね。。。

>時間をかけてお互い理解し合い、解決してく問題だと思っています。

これも確かにそうなのですが、、、「時間をかけて」というフレーズが少し気になりました。
私は当事者なので、一時間、一日、一年でも早く良い方向に持っていきたいという思いがあります。さすがに全面解決は無理でも、良い方向に持っていくことならできるのではないか・・・というのが認識です。
そのためには、何ができるのかということを日々考えていまして、現時点では、人々が、聴覚障害に関わる諸問題を、時事問題と同じ位置づけで語れるようになる位に、人々の知識・思考レベルを高めていくことが必要・・・という考えに至っています。(後になって、考えが変わるかもしれませんが。)
現在の私にできることと言えば、人々の知識・思考レベルを高めていくためのお手伝い程度ですが、これも立派な社会貢献かなと思っています。
by ふよこ (2011-12-29 15:24) 

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