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聴覚障害者が長年働いていく上で必要な力を考えてみた [スキル]

今回投稿するのは、4年近く前、かつて運営していた別のブログへの投稿を目的に作成した文章です。

聴覚障害者の働き方に対する見方や考え方が多少緩やかになっている今、あらためて文章を読み直してみましたが、作成当時に気づかなかった視点が見えてきて、「これは違うのではないか」「厳しすぎる書き方ではないか」と違和感を感じる箇所がたくさんあります。(自分で書いておきながら言うのもなんですが・・・)
また、文章自体もまとまりがなく、結論が全然見えてない気がします。

このことで、公開せずに自分の手元に残しておいたほうが良いのではないかと一度は考えましたが、ネット上に、似たような話が見当たらないことから、「こういう考え方もある」ということを示す目的で再投稿することにしました。

(今後、気付いたことが出てきましたら、加筆修正するか、もしくは、別に文章を作成する予定です)

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聴覚障害者が長年働いていくには、周囲との円滑な人間関係を築く力より業務遂行力が重要だと考える。
 
長年仕事をする上で最初に考えておきたいのは、その時その時の職場が自分にとって居心地のいい環境であるかどうかということ。お偉いさんが聞いたら怒りそうだが。
この環境を作り出すのはほかならない自分自身だが、居心地のよさは、職場における自分の相対的な位置関係によって決定される。
 
学生時代を思い返してみれば、何でもソツなくこなす人の方が居心地がよかったように思う。
国語数学英語社会理科なら満点が取れるという秀才君は何をしていても一目置かれる一方、一部の人から向けられる嫉妬のエネルギーが強かった。何か一つに秀でているわけでもない平均的な人間は、出ない杭は打たれないで、何事も普通にこなしていれば、何も言われないし、嫉妬されることもないので、人間関係は比較的円満だったのではないかと思う。
 
これは、聞こえる人の仕事ぶりについても言えることで、電話が取れる、分からない事があれば気軽に聞いて教えてもらえる、与えられた仕事を受身でこなす、これらをするだけで業務遂行力は平均程度のレベルに達する。あとは、人間関係で特に問題がなければ、自分にとって居心地の良い環境が自然に出来上がる。(実際はそうではない!という人もいるだろうが)
しかし、聴覚障害者の場合、電話が取れない(もし取れたとしても聞こえる人のようにはスムーズに行かないことが多い)、分からないことがあっても気軽に聞けない時点で、業務遂行力は聞こえる人よりガクンと落ちる。分からないことを聞いて教えてもらえたとしても、一から丁寧に教えてもらえるのは新入社員の時だけ。新入社員の期間を過ぎると、多少あやふやな箇所があってもある程度は分かっていると見なされ、質問に対する回答もある程度の知識を持ち合わせていることを想定したものになっていく。
 
これは、聞こえる人が新入社員時代、日常業務以外に、労働組合関係の委員、イベント担当などの雑務を通して、担当業務の内容、それに関する周辺知識をあやふやながらも自然に身につけていっているためだと考える。一方、聴覚障害者は、雑務を割り当てられることは殆どといっていい程ない。周囲の人の過剰な配慮があるのかどうかは不明だが、聴覚障害があるために信頼が得られない、ただそれだけの理由で割り当てられないのではないか。このようなことから来る経験不足は、「情報力不足」「知識不足」として、年を経るごとに聞こえる人と聞こえない人との間の差に顕著に表れる。
 
大きく差をつけられてしまった聴覚障害者は、仕事のレベルが上がらない、質も高まらない・・・で仕事に行き詰まり、人間関係も思うようにいかないことで、虚無感に陥り、自分の存在意義を次第に失っていく。最終的には退職という選択をする人もいる。
個人差はあるが、大多数の聴覚障害者は聞こえる人同様にできないことについて悩んでいる。人間関係に自信がなくても、仕事で頑張れる聴覚障害者は、一部の人に限定され、地頭がよかったり、特定の専門分野で他人との差別化を図れる人に見られるように思う。
地頭の良さは、考える力が強いことを意味するが、考える力は言語力と比例する。
言語には、思考した結果を表現する道具としての役割があるからだ。
 
地頭の良さは、業務遂行力とも密接な関係がある。
実際、地頭が良い聴覚障害者は、何気なく思ったこと、感じたことをポンポンと言語に変換していく。過去に記憶した知識を複合的に関連付けて必要な時にきちんと呼び出すこともできる。そればかりではない。日頃から能動的な姿勢で仕事に取り組んでいるので、どのような情報にアクセスすれば、自分の知りたいことを知ることができるのかも理解している。これなら、聞こえることを要求しないチャットやメールで、スムーズに意思疎通を図ることができ、説明が伝わらないことを理由としたもどかしい思いをすることがない。たとえあったとしても、少ない回数で済む。ストレスも溜まらないし、精神衛生上良い。
 
しかし、大多数の聴覚障害者は、平凡な人ばかりだ。地頭が良くない場合、聞こえる人同等もしくはそれ以上の業務遂行力を身につけることを諦めなければいけないのだろうか。
私自身、過去に地頭の良い人を何人か見てきた経験から、地頭の良さは生まれつきによるものが大きいと考えていた。ところが、最近になって、地頭の良さは後天的な努力でも獲得できるものであるということが分かってきた。地頭の良さは考える力を意味すると先述したが、具体的には論理的思考力や数字に関するセンス、物事を抽象化する能力の高さをいう。
これらの能力は、訓練次第で能力アップが図れるといわれている。
聴覚障害者が考える力を身につけるには、9~10歳の時点で具象化思考と抽象化思考の使い分けができるようになっていることが前提になる。
 
現実はどうだろうか?
乳児期から聴覚障害がある場合、1、2歳頃から小学校低~中学年の長期間に渡って、ことばを一つでも多く覚える目的での詰め込み教育が行われる。
専門の教育機関に通学して指導を受け、家に帰れば、母親手作りの絵カードを見ながら「これは、なになにです。」と気が遠くなるほど同じ言葉を繰り返し言わされ、絵日記を書いては「昨日は、どこどこに行きました。なになにをしました。」と書いた内容をオウムのように何度も言わされる。この訓練を通して、具体思考を抽象思考につなげていくが、抽象思考にたどり着けずに挫折する聴覚障害者も少なくない。挫折しなかったとしても、抽象思考がある程度の所までしか伸びず、考える作業に支障を来している聴覚障害者も多い。こうなると、聴覚障害者全体の業務遂行力の底上げは望めないのだろうか。

現状、この問題を軽視している人は多い。聞こえる人と変わりない文章が書けるようになった、ただそれだけの理由で、考える力は身についている、これで社会に出てもやっていけると判断を下してしまう専門家は多い。どのような文章が書けるようになったかを重視すべきだ。文章の種類は、日記、紀行文、記録書(レポート)、報告書、手紙、記事と多岐に渡るが、専門家の言う「聞こえる人と変わりない文章が書けるようになった」は、日記や手紙が“普通に”書けるようになったことを指しているように感じる。報告書やレポートは、日記を書く能力よりも高度な能力を要するので、たかが日記が書ける程度で、聞こえる人と変わらない文章が書けるようになったと喜ぶのは早い。

職場環境の整備、情報保障の充実を声高に叫ぶことも大事だが、業務遂行力についてもっと考慮することが必要ではなかろうか。優先順位を下げられていることが非常に残念でならない。

【関連記事】「聴覚障害者が長年働いていく上で必要な力を考えてみた(続き)」
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FREE365



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by FREE365 (2013-05-04 14:27) 

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