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昇進昇格のポイントや基準は不透明なのか [仕事]

民間企業において、「総合職なのに昇進昇格のポイントや基準が不透明だ」と考えている聴覚障害者は多い。
コミュニケーションが取れないから、人間関係が築けないからで片付けられているように思う。

果たしてそうだろうか。
前回の記事で、「仕事ぶりからして出世するだろうと思った人達は全員が上位職位に昇進昇格している」と書いた。
実は、彼らに共通しているのは、取るに足らない疑問や質問も真摯に受け止めて回答してくれる、的確なコメントをくれる、という点だ。
誠実さがあるかどうかが大きく関わっているように思う。
この点でいえば、聴覚障害者には仕事絡みで誠実さがある人は意外と少ないのではないか・・・と考えてしまうのだ。

それはなぜか。
私事で恐縮だが、学生時代から今に至るまで、聴覚障害者で誠実だと感じた人は数えるほどしかいない。
それ位、自分本位、人を茶化したり、表面的な部分で判断して自分の価値にならない人を無下に扱う人が多かった。
情報や経験の引き出しが少ないからか、自分が答えられない質問は無視するという幼稚な人も少なからずいた。
学歴は関係ない。高偏差値の大学に通う聴覚障害者はずる賢いからか?知恵があるからか?相手を試すかのような行動を取っている人もいた。
私自身、そのような聴覚障害者には嫌な思いをたくさんさせられた。
特に、人脈があることで評判の聴覚障害者に対する印象は私のなかではすこぶる悪い。

こう書くと、プライベートと仕事は分けて考えるべき、という意見が出てくるかもしれない。
それはごもっともだ。
しかし、プライベートで誠実でない人が仕事に対して誠実であることはあり得るのだろうか。

人間は器用に振舞えるものではない。
話が脱線してしまうが、私はあの山本耕史氏にファンレターを出したことがある。
1995年頃の話で、彼が高橋由美子氏と主役を務めていた映画「時の輝き」をたまたま見て、なぜだか分からないが、彼の演技につい惹きこまれてしまった。
当時、彼は10代後半と若いながらもミュージカル俳優としては実力のある役者さんだったように思うが、ドラマ「ひとつ屋根の下」で名が世間に浸透したばかり。
今は香取慎吾氏(元SMAP)、堀北真希氏絡みで頻繁にメディアに登場するので彼に関する情報は多いが、当時は驚くほど情報が乏しかった。
彼の出演する映画や舞台の情報が欲しかったので、ファンレターを躊躇することなく出した。
ぎこちないファンレターだったのに、1ケ月後には自筆によるハガキが届いた。
ハガキ文面が文字でぎっちり埋められ、珍しく筆マメな上に、芸能人ならではの驕りが全くなく一人ひとりのファンを大切にする人だと感じた。
と同時に、「彼は今後知名度が高くなる俳優さんだ」と思った。
予想通り、ファンレターを出してから10年もしないうちに、彼は全国的に有名になり、2005年には紅白歌合戦の白組司会を務めるほどまでになった。
一昨年の堀北真希氏との結婚話で「手紙を何通も出した」ことや、非社交性で評判の香取慎吾氏と仲良くなったことが話題になった時は、ファンを大切にする人は仕事仲間やプライベートの友人知人も大切にするものだということを強く実感した。
(どちらも大切にしなかったことによるイメージ悪化、(俳優業の)売上減少を無意識のうちに理解しているから・・・という見方もあるかもしれないが。。。)

上で書いたことは極端な例かもしれない。
しかし、山本氏のような有名人が誰にでも分け隔てなく接しているように見えることから、有名人に比べて交際範囲や行動範囲の狭い一般人が「○○さんには悪い態度で接して、○○さんには良い態度で接する」という器用なことができるのかと考えてしまう。
器用なことをするには多大なエネルギーを消費するはずだ。
したがって、プライベートで誠実でない人が仕事に対して誠実であるはずはないと考える。

誠実さは簡単に身につけられるものではない。
(「優しい」と「誠実」は全く別物。そこを誤解しないように。)

多くの聴覚障害者に誠実さを感じないのは、聴覚障害者の心理的な発達に問題があるからではないか・・・。
そんなことを最近は思うようになっている。

こう書くと、心理的な発達に問題があることと昇進昇格のポイントや基準は分けて考えるべき、とお叱りを受けるかもしれない。
しかし、原因は意外なところに潜んでいるかもしれないもの。今後は、原因のひとつに心理的な発達も付け加えて考えていきたい。
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採用枠にこだわるのは不毛だ [雇用]

働いている聴覚障害者の間では、時おり、障害者枠、一般枠のどちらで採用されたかということが話題に上がる。
「障害者枠で採用されたのか」という質問を受けた途端に、顔色を変えて「私は一般枠で採用された」と怒り出す人も少なからずいる。
一般枠で採用された聴覚障害者は優秀で、障害者枠で採用された聴覚障害者は優秀でないという図式が多くの人の頭のなかにできあがっているように思う。
聴覚障害者はプライベートでつながっている他の同障者がどれ位の能力を持っているかについてやたらと詳しい人が多いので、同障者で構築する地域コミュニティの場においても、「一般枠で採用された」ことはそれ自体一流大学に合格したことと同じ位強力なブランドになる。テーマ自由で講演会を開こうとなった時、講演者の人選においても、候補に上がりやすい。

私は、民間企業、自治体の両方において、障害者枠で採用されたが、自治体に採用された時は多くの聴覚障害者から「障害者枠で採用されたのか」とよく尋ねられた。
私の能力が軽んじられていたからなのか?民間企業からの転職が珍しかったからなのか?今となっては分からないが、うんざりするほど尋ねられたのは事実だ。
採用試験に障害者枠を設けているところであれば、民間企業、自治体のどちらにおいても、身体障害者採用試験は一般向けの採用試験に比べて競争倍率が少し低く採用基準が緩やかな傾向にある。
そのことから、一般枠で採用された聴覚障害者が「自分はいかに優秀であるか」を誇示したがる心理、障害者枠で採用された人を軽蔑する心理は想像できなくはない。

採用された後の業務内容は、私が見聞きした範囲でいえば、民間企業と自治体では異なるように思う。
障害者枠であっても、民間企業総合職で採用された場合、昇進昇格につながる仕事を任されることはあるかもしれないが、一般事務職の場合は、そのようなことは皆無ではないか。
私自身、民間企業で過ごした6年間は昇格できなかった。
健聴者は一般事務職であっても最高ランク(係長)まで昇格している人はいたので、その人達を見る限り、地味と思われる仕事をこなしつつ、何事も臨機応変に対応でき秘書的な役割を果たせる人が一般事務職としては昇格しやすいのではないかと考えている。
逆に、自治体は、障害者枠、一般枠のどちらで採用されてもあまり差はないように思う。
電話対応ができるかが大きなポイントになる。
障害があっても、聴こえて視力もあって手先が器用に使える人であれば、幅広い仕事の経験を積める。
分かりやすい例が、下肢障害者だ。
私の知っている下肢障害者は学校事務のスペシャリストと評価されている。
これは、長年様々な事務を経験した上に、様々な教員や管理職との人脈を築き、多くの学校に関する情報に精通しているからだ。
学校事務の大規模な改革では、事務効率化の功労者としても評価された。
その人も、障害者枠で採用された職員。
私は今、育児休業中で自治体内部の情報にアクセスできない状態なので、その人が出世しているのかどうかは分からないが、出世するに相応しい職員であると考えている。
(生意気かもしれないが、民間企業、自治体のどちらにおいても、仕事ぶりからして出世するだろうと思った人達は全員が上位職位に昇進昇格しているので、その人もいつかは昇進昇格すると信じている。)

聴覚障害者はキャリアプランが描きにくい。
高学歴イコール仕事面で優秀、に直結するわけではないが、長年、「一流大卒という肩書を手に入れ、一般枠で採用されれば、ある程度昇格しやすい。高い給料がもらえる。」という価値観が多くの人に身に染み付いているように思う。
だからこそ、一般枠が上で障害者枠が下という価値観で、仕事に関するあらゆることが語られる傾向にあるが、先述した例のように、どちらの枠で採用されようが、自分に合った仕事を長年継続できて、さらに昇進昇格できれば御の字だと考える。

故に、一般枠、障害者枠のどちらで採用されたかに関心を持つのは意味がないことだけは強調しておきたい。
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本、読みますか? [仕事]

みなさんは本を読みますか?

インターネットが普及してからの10数年、「読書」という言葉を聞かなくなった気がします。
この10数年は、私が社会人になってからの年月とも重なりますが、社会人になってから出会った人達との会話を思い返してみても、本の話ができた人は少なかったように思います。
100人いれば、4、5人話ができればいいほうかな。
交流範囲が狭いから・・・というのもあるかもしれませんが、聴覚障害者に限っていえば、本の話ができた人はほぼ皆無といっていい位です。

聴覚障害者も健聴者同様、本を読まない人が多いのだと思いますが、私自身の経験でいえば、聴覚障害者に限っていえば、本を一冊でも多く読んだほうが良いです。

学生であれば、本を手あたり次第に読み、ほんの少しでも知識を蓄積させておくことが学校の授業を理解する上で少しは助けになります。
社会科学系や人文科学系の科目であれば、確かに、『授業をしっかり聞いて理解する』『情報保障を受ける』の二つをしっかり行うことが点数につながりやすいです。(自然科学系は、私の苦手な分野なので触れません。ごめんなさい。)
しかし、情報保障を受けられないとなると、遠回りの方法を取るしかなく、授業に関連した本を探し、手あたり次第に読むしかありません。
この方法は労力を使うので非効率ですが、ジャンルを問わず手あたり次第に読むことで様々な知識が得られ、関連性のない知識でもふとした瞬間につながりが見えてくるようになります。
これを何度も重ねていくうちに、なかなか理解できなかったことが瞬間的に理解できるようになります。

上で書いたことは社会人にもある程度言えることですが、社会人の場合、限られた時間のなかでどのような本を読むかが課題ですね。
仕事に少しでも役立てたいのであれば、経済小説がお薦め。
この10数年はハウツー本が売れているので、本になじみがない人であれば、「まずはハウツー本を・・・」と考える人が多いように思います。10年以上前の私もそうでした。
社会人1、2年目の頃は仕事の要領がよく分からなかったので、ハウツー本を数多く読みましたが、当時お世話になった同僚に色々お話を聞かせてもらううちに、ハウツー本では不充分すぎることが自ずから分かってきたのです。
そこで読むようになったのが日経ビジネス人文庫シリーズの文庫本。
書店内をうろうろしていた時にたまたま専用のコーナーが目につき、ほんの軽い気持ちで読み始めたのです。
はじめて読んだ『経営パワーの危機』(三枝匡著)は人材マネジメントの重要性を強く感じさせられた点では印象に残っています。
経営系の書籍に飽きてしまった今は、金融・経済系の小説、歴史小説、歴史評論、国語評論、哲学、健康エッセイ・・・と様々なジャンルの本をたしなんでいます。
経済小説には実務に関係ある用語やシーンが多く登場するので、「この用語はこういうシーンで使われるのか」「XXXのシーンでこういうやり取りをするのか」などと知識を得つつも登場人物に感情移入しながら読み進めるのが楽しいのです。
と同時に、優れた経済小説を世に出してくださっている作家の想像力や問題意識には敬服します。
聴覚障害者の場合、仕事に関係する情報が手に入りにくいので、経済小説を読みながら「自分だったらこうする」「職場ではこういう会話が交わされているのかな」など・・・と職場に関する様々なことをイメージしていくのも良いではないでしょうか。
読書が高収入につながるわけではありませんが、少しでも実りある職業人生にしていく上では有効な手段だと思います。

文章の読み書きが苦手な人もいますので、読書の強制はできませんが、『時間があるなら、本を少しでも多く読みましょう』です。
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息子の聴力検査 [脱力系]

息子も早いもので3ヶ月。
この3ヶ月間、本当にいろいろな出来事がありました。

今一番気になるのは、息子が健聴者並みに聴こえているかどうかについて。
難聴が息子に遺伝するのではないかという不安は妊娠判明した当初からありました。

出生した病院で受けた新生児聴覚検査では両耳ともに異常なしという診断。
しかし、チアノーゼの原因を調べるために転院した病院で同様の検査を受けた結果、片耳がひっかかってしまったのです。
片耳のみ、日にちをおいて再度検査しましたが、反応が芳しくなく、また再検査が必要という話。乳児を対象にした聴力検査の経験が豊富な補聴器店に相談して参考程度に調べてもらったところ、軽度難聴の可能性があるのでは・・・という話。

そこで、今日、乳児でも検査可能な病院に行き、聴力検査をしてもらいました。

息子が受けた検査は「聴性行動反応検査」というもので、色々な種類の音を様々な音圧で聞かせます。その音圧は何を使って出すのかといえば、スピーカーだったり、音の出るおもちゃや楽器だったり。
そして、どれくらいの音圧で、何らかの反応(振り向く、音源を探す、目を動かす、びっくりしたような表情をするなど)があるかを確認するのです。
今日の検査では、スピーカー、大太鼓やタンバリン、リングベルが使われました。

息子の場合、日常生活ではささやき声が聴こえにくいのかなと感じることはあっても、おおよその物音に対しては良好な反応が見られるので、ある程度は聴こえているのではないか(最悪、軽度~中等度難聴では)と思いながら、検査状況を見守っていました。

結果は「この時期(生後3~5ヶ月)の赤ちゃんとしては、普通の聴こえ。問題ありません。」とのこと。
リングベルの音に対する反応が薄いのが気になりましたが、この時期の赤ちゃんは聴覚機能がまだ発達していない(1歳位にならないと完成しないそう)ので、現時点では問題ないという話。
今後は、生後6ヶ月、9ヶ月、1歳と3ヶ月間隔で聴力検査をしながら経過をみていきましょうということで、現時点では少し大きめの声でたくさん語りかけをしてねと担当の言語聴覚士さんからアドバイスをもらいました。

補聴器店から「軽度~中等度難聴であっても、生後6ヶ月までに補聴器をつけないと言語発達が遅れてしまう」という話を嫌というほど聞かされていた私としては、補聴器を早々とつけることをアドバイスされるのかなと思っていたので、拍子抜けした気分。
現時点で、聴こえる聴こえないが確定したわけではないですが、ある程度は聴こえていることが専門家の目で確認されただけでも安心しました。
今も息子にはがんばって語りかけをしていますが、これからもがんばって語りかけをたくさんしていこう!と益々やる気がわいてきました。
(たとえば、おむつ交換の時に、新しいオムツを息子に見せながら「これが新しいおむつ。」「いい匂いだね。」「今のおむつはおしっこびっしょびっしょだから、変えよう。」「気持ちいいね。」などなどと語りかけるのです。語りかける時間が長くなればなるほど、息子も笑顔になってきて「あー。」「うー。」「くあー。」など大きな喃語を出してくれます。)

余談になりますが、息子の聴力検査を担当してくださった言語聴覚士さんとは、25年ぶりに再会。
私と同じく難聴の弟が乳児期にこの言語聴覚士さんから療育指導を受けていた関係で、当時小学生だった私もこの言語聴覚士さんのもとで聴力検査を何度か受けるなどお世話になっていました。
適切な指導をしてくださる上に大変親しみやすい方だったので、弟の療育途中で、他の地域の療育センターに異動になったと聞いた時は残念な気持ちになったことを今でも憶えていますし、今後会う機会はないと思っていたので、まさか息子の聴力検査で再会するとは・・・。
この再会で、赤ちゃんの聴力検査や療育指導に精通した方であることもはじめて知ったのでした。
今日の院内(耳鼻咽喉科)は難聴の乳幼児で大変混み合っていましたが、国内では最先端の検査・治療をしているという評判もあり、適切な検査・治療を受けるために、医師だけでなくこの言語聴覚士さんを頼って遠方からきている方が多いようにみえました。
それほど、国内では優秀な人材が不足しているということなのでしょうか。
どの職業でもいえることかもしれませんが、他人が真似できないくらい専門性を高めるのは大変ハードルが高いことではないか・・・と、息子の検査を通して感じたのでした。
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母になりました [脱力系]

3月某日、男の赤ちゃんを無事に出産しました。
予定日より2週間早かったのですが、体重が4キロ近かったからか、約18時間の陣痛に
苦しみながらの出産となりました。
陣痛促進剤を途中で打たれたため、子宮破裂(稀に起こるそうです)等の副作用が心配
でしたが、何事もなく出産できて安堵しています。

その赤ちゃんも間もなく1ヶ月を迎えようとしています。
息子は見た目はまるまるとしていて元気で、心配していた聴覚障害も現時点ではない
という診断が出ています。
しかし、勢いよく泣くとチアノーゼ反応が強く出るのが問題で、主治医からは日常
生活の注意点として泣かせすぎないようにと言われています。
赤ちゃんは泣くのが仕事といいますが、このように言われるのはきつい。
周囲の方々のアドバイスもあり、息子がなぜ泣くのか少しずつ分かるようになってきま
したが、泣いている原因が取り除けず、何分もギャンギャン泣かれると「永遠に泣き続
けるのではないか」「泣き続けたことで、チアノーゼが悪化したら」と不安になります。
補聴器を装用していても、息子の泣き声はベビーセンサではじめて気がつく位聞きづら
いので、息子の近くにいても、気が休まりません。
息子の顔の表情を数分おきに確認するのが日常茶飯事となりました。
(この記事も、息子を膝の上にのせてあやしながら書いています・・・^^;)

こんなわけですが、今後は仕事ネタだけでなく育児ネタもアップしていこうと思って
いますので、引き続きよろしくお願いします。
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今週から産前休暇! [仕事]

今週から待ちに待った産前休暇に入りました。
出産予定日まで2ヶ月弱。
一昨日、昨日の2日間は病院の検査でかなり慌ただしい日々だったので、今日になって
やっと「産前休暇に入れた」という実感が沸いてきました。
あっという間なのかもしれませんが、こんなに長いお休みをいただくのは13年間の社会人
生活では初めてのことです。
実際に産休に入ってみると、ノーストレスな環境なので、先週まで忙しく仕事をしていた
のが嘘みたいです。
つわりが軽く仕事もさほど支障がなかったので、なんとか産休直前まで働くことが
できましたが、長距離通勤や年齢(最近、高齢出産の域に入りました)というリスク
があることを踏まえると、お腹のなかの赤ちゃんにかなり負担をかけていたと感じます。
幸いなことに、赤ちゃんは平均より大きく育ってくれており、推定体重も2キロを超え
ました。
同僚には迷惑な話かもしれませんが、大事を取って1月から休んでも良かったのでは
ないか・・・という思いもあります。

早速、出産前にやらなければならないこと、やりたいことを書き出してみました。
今まで週末にしかまとまった時間が取れなかったからか、前者だけでも思いの外多く、
のんびりしている時間はなさそうです。
例えば、赤ちゃんを迎えるための準備だけでいうと、収納スペースの整理、細かいところ
の掃除、保育所の下見など色々あります。
仕事から離れることによる能力低下も気になる点なので、職務に関係した勉強もやらなけ
ればならないことの一つに入っています。
時間に限りがあることを日々意識して過ごさないと、一日一日があっという間に過ぎ去って
しまうのが怖い。

無事に出産できた場合は約2ヶ月間の産後休暇を経て、育児休業を取らせていただく予定です。
昨今はかわいい盛りの0~1才で保育所に預けて仕事に復帰するのが当然のような風潮が
ありますが、私は育児休業はできれば2年欲しいと考えています。
2年も休めば浦島太郎になっているかもしれませんが、せっかくの機会なので、育児に専念
しながら職務復帰に備えたいな・・・と。
元々子どもを授かるのは奇跡的なことという考え方で、今回の妊娠に対しても「奇跡」と
受け止めているので、少なくとも2才近くまでは自分の手元で育てたい気持ちが強いのです。
私が勤務する地方自治体の場合、最長3年取れるうえに、育児休業中に代替職員(非正規)が
雇われることから、2年近く取るケースは珍しくありませんが、保育所に入れるかどうかの問題
を考えると2年取るのは現実的ではないのかなと感じます。

以上、産前休暇に入ってみて感じたことを書き連ねてみました。

この1、2年は仕事に関係した記事を書けていないので、産前休暇中にひとつ記事をアップでき
ればと思っています。
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「とろい」「要領が悪い」と言われること(1/17修正加筆) [雑感]

今年もよろしくお願いします。

最近、妊娠8ヶ月目に入りました。産休まであと残りわずか。
お腹のなかにいる赤ちゃんは日々筋肉脂肪がついて力強くなっているのか、
時間に関係なく暴れまくっています。
暴れられると痛いですが、元気に育ってくれている証拠なので、安心します。
ここまで来ると、出産経験者で経過が順調だった方や知識のない方は「無事
に出産できるのでは」と思うのかもしれませんが、何があるか分からないのが
妊娠出産。母からは、私を出産した頃、同じ病院に入院していた母子が妊娠
中毒症で亡くなった話を何度も聞いていたので、何事もなく出産できれば・・・
と日々祈るような気持ちです。

さて、本題に入りますが、時々、タイトルのようなことについて考えます。

私は社会に出るまで、周囲から「とろい」「要領が悪い」という言葉をよく
言われました。
親に言われるのは我慢できるとしても、同級生(特に、女子)に言われるのは
我慢できない。
スクールカーストとでもいうのでしょうか、学校生活では同級生に比べて自分
の方が立場が弱いことを何となく自覚していたので、言い返すことはありません
でしたが。

皆にうまく合わせられない時に、「とろい」「要領が悪い」という言葉がよく
出てきたのですが、時々睨まれたりすると「あんたがいると迷惑なんだよ」
「役立たず」「出ていけ」と言われているかのような気持ちになり、同級生と
同じ場にいることがいたたまれなくなりました。
私ではありませんが、小学5年生の時の学校行事で、
歩くのが遅い男子をある女子が「何やってるんだ。早く歩けよ!」とドスの
きいた声でどなりつけるのを何回か聞いた時は大変不快な気持ちになりました。
自分がどなられたわけではないのですが、当時のクラスには彼女のような性格
の女子がいくらでもいたので、彼女たちの存在が恐ろしく感じたものです。

このような経験が何度も繰り返されると、「とろい」「要領が悪い」人は社会では
役に立たないのかと考えるようになってしまうのですね。
さすがに、今は言われませんが、ネット掲示板などで「とろい」「要領が悪い」こと
に対する悩みを読むたびに心が痛みます。

「とろい」「要領が悪い」と言われることは、言われる側にとっては自己肯定感を
ズタズタに引き裂かれるようなものです。
私は何度も引き裂かれているので、女性不信になってしまい、一時期は女友達が
いなくてもいいと考えていた位です。今も潜在意識ではそう考えているところが
あるので、「ふよこさんがいてくれてよかった」と言ってくれる女性は大変ありが
たいですね。

ただ、未来の我が子をどう育てるかを考えるたびに、かつて「とろい」「要領が
悪い」と言われたことをふっと思い出してしまい、腸が煮えくり返る思いです。
未来の我が子も私の遺伝を半分受け継ぐでしょうから、ある程度大きくなったら
「とろい」「要領が悪い」ことでいじめられないか、不安な気持ちが常にあります。
子ども時代は子どもらしく過ごせるのが一番ですが、どうしたらいじめられないか
を考えるとあらゆる側面から徹底的に対策しなければという焦りもあります。
生まれる前から、そんなことを考えていても仕方がないのは分かっていますし、
いじめっ子にしないのが大事だということも勿論理解していますが、将来出会う
かもしれないであろう陰湿な子供やその親の存在を考えると・・・。

「とろい」「要領が悪い」は裏を返せば、マイペースさ、経験不足のために慎重で
あること、何らかの原因で動作が鈍くなっていることの顕れですが、それらを言う人
(特に、女性)はそこまで考えが及ばないのでしょうか。
女性批判だと言われるかもしれませんが、私の経験では、思考力に乏しい女性は
学力が高くても「とろい」「要領が悪い」原因を突き詰めようとせずに、その場の
感情だけで言い立てたりするから厄介です。
このような女性の共通点といえば、肩書きやステータスにこだわる点
や損得勘定で人を判断する点にあるので、
彼女たちの考えでは、「とろい」「要領が悪い」人は社会では役に立たない、潜在的
にお金を稼げない人だと考えているから、排除しようとしているのでしょうか。
これは子どもも大人も関係ありません。

「とろい」「要領が悪い」の反対である「行動が早い」「要領が良い」は、確かに、
公私ともに評価されるポイントになっているように思います。
学校時代からそのように評価されている人は社会の役に立ちそう、潜在的なレベルで
お金を稼げそう(お金持ちになれそう)と考えられているように思います。

しかし、この二つを備えた人であっても社会の役に立ち、お金を稼げている人は
どれだけいるのか疑問です。
「とろい」「要領が悪い」と言われ続けた私でさえ、平均的な日本国民以上の収入
はあるわけですから、「とろい」「要領が悪い」イコール「社会の役に立たず、
お金を稼げない」というわけではないのだと思います。

そして、「行動が早い」「要領が良い」特性は永遠に続くものではありません。
個人差はありますが、身体の自由が利いて気力体力がみなぎっているからこそ、この特性を
持てるのではないでしょうか。
身体の自由が利くことそのものでさえ、当たり前のことではありません。
多くの人はおそらく「自分は病気にならない」「介護を必要としない」と思っているの
かもしれませんが、年齢を重ねて病気になり介護が必要な状態になれば、行動は当然遅くなり、
要領よく動けなくなるのではないでしょうか。

このように考えるからこそ、過去に「とろい」「要領が悪い」と言ってきた女子(女性)たちの
傲慢さには何年経っても怒りがおさまることがありません。


話が横道にそれますが、
仕事でいえば、営業は「行動が早い」営業マンは確かに喜ばれます。
私も普段の仕事では民間企業の営業担当者と接点があるので、お願いしたことに
対して早く対応してくれる営業担当者はありがたいです。
しかし、事務処理が雑だと営業担当者への信頼が揺らいでしまうことがよくあります。
特に、請求書の日付が昨年度の日付になっているとかあり得ないミスが相次いだ場合。
それならば、「とろくても、行動が少しくらい遅くても、要領が悪くても、正確に
処理してくれる」営業担当者の方がありがたいと思ってしまいます。
職場と相手先が離れていればいるほど、書類を受け取ってはミスを連絡して、再度
書類をもらって・・・の繰り返しで数日かかるのはザラにあることですから。
これは営業担当者だけでなく、事務職にも言えることですが。

おそらく、多くの人は学校生活でも仕事でも「行動が早い」「要領が良い」のは
誰にでも喜ばれることを暗黙のうちに身につけていると思います。
ただ、この二つはケースバイケースであって、そのまま個人、延いては組織全体の
利益に結びつくわけではありません。(そんなこと分かっているよとツッコミが入り
そうですが。)
研究開発や教育(特に、特別支援教育)など、長期的な視点でじっくりと取り組まないと結果が
見えてこないものは「行動が早くて、要領が良い」こと以上に、忍耐強さを必要とします。
私は教育関係の職場にいますが、現場の教員は「とろくて、要領が悪い」と思われている人でも、
仕事に真剣に向き合っている人であれば、評価されているように感じます。

あと10、20年もすれば、仕事のロボット化が進むと言われていますが、もしそうなったら、
「行動が早くて、要領が良い」ことが評価の大きな要素であった仕事は、誰がやっても同じと
考えられている(イコール機械化が進む)ためにますます失われていくのではないでしょうか。
逆に、忍耐強さを必要とする仕事の価値がますます上がっていくのではないでしょうか。

そんな時代がやってきたら、子どもも大人も「行動が早くて、要領が良い」ことに対する価値観が
変わり、「とろくて要領が悪い」ことの意味を真剣に考える、もしくは、メリットを見出そう
とする人が増えてくる可能性もあると考えます。
実際に、そのような人が増えれば、「とろくて要領が悪い」人を排除する動きは減るのかな・・・と
楽観的な見方もしています。


・・・かつて関わりのあった女性たちにここで文句を並べてもしょうがないのは
分かっていますが、どうしても我慢できなかったので、書いてみました。
支離滅裂な文章ですが、お許しください。

他に何か気づいたことがあれば、加筆修正します。

※1月17日午前11時32分、太字部分を修正加筆しました。
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未来の我が子に言いたくないNGワード [脱力系]

大変ご無沙汰しております。

今年夏に妊娠が分かり、今月で妊娠7ヶ月目に突入しました。
残り1ヶ月で産休です。
妊娠経過は順調ですが、大きくなったお腹を抱えた状態で長時間歩くのが
大変になってきました。
妊娠イコール出産と思われがちですが、出産までに何があるか分からないので、
無事に出産を迎えれば・・・と祈る日々です。

妊娠が分かって以来、自分の過去の経験を振り返りつつも「自分がこんな悲しい
思いをしてきたから、未来の我が子にはこんな悲しい思いはさせたくない」という
感情が強くなってきました。

このブログでも何度も書いていますが、聴覚障害について考えたり自分と向き合う
のは大変疲れること。
他人と比較して今の自分には何ができないのか?足りないのか?を考えることが
発端となっていますが、大変疲れるものです。

また、私自身が幼少時から現在に至るまで、他の健常者や聴覚障害者と比較されては
「××さんは○○ができるけど、ふよこさんはなんでできないの?」と言われ続けて、
トラウマになっているのもあり、家族や親戚以外の人たちを意識するだけでブルーな
気持ちになってしまうのです。
そんなわけで、私の中ではNGワードとして確立されている「なんで、こんな ことできないの?」
「なんで、こんなこと知らないの?」
という言葉は
未来の我が子に対しては絶対に使いたくありません。

そのような言葉を絶対に言われたくないし思われたくないからこそ、今まで他人より
物事を多く知っていなければならない、人並みにできなければならないという意識が
強くありました。
しかし、年齢を重ね、自分の得意領域、不得意領域を自覚するようになるうちに、
そのような言葉を平然と言う人に強い怒りを感じずにいられなくなりました。
相手が健常者であっても、聴覚障害者であってもです。

何年経とうが、そう簡単に忘れないもので(普段は忘れていることが多いのですが、
何かの弾みでふっと思い出してしまう)、目の前にいない相手に対して
「あなたはこんなことを言っているけど、あなたはどうなの?」と罵りたくなることが
あります。
今更ですが、「どんなことならできて(知っていて)当たり前なのか」を尋ねてみたい
です。おそらく、完璧に答えられないでしょうが。

それほど「なんで、こんなことできないの?」「なんで、こんなこと知らないの?」は
心の中で思ってはいけないうえに、口に出していけないことなのです。
私自身の経験でいえば、言われる回数が多ければ多いほど、追い詰められるだけでなく、
周囲にいる人々が敵に見えてしまいます。

口に出さなればいいのではと思う方もいらっしゃるでしょうが、心の中で思っている
ことは何らかの形で言動として現れるものですから、絶対に思うべきことではないです。
そもそも何ができて当たり前かは個々人の生活習慣や価値観に大きく左右されるもので
あり、人によって違うものだからです。

余談になりますが、小学校時代の同級生で、上記のようなNGワードを頻繁に使っていた
人がいます。その同級生の親が数年前に脳梗塞で倒れ、半身不随で日々の介護を必要と
する生活を余儀なくされているという話を最近聞きました。
私の祖母も脳梗塞を発症し、半身不随になった(結局は、大往生しましたが)ので、
脳梗塞を発症した場合の大変さは容易に想像できますが、この同級生とその母親には
NGワードで散々苦しめられたので、過去のこととはいえ、同情する気にもなれないですし、
何も言葉をかける気にもなれません。
彼らは何事においても「できて当たり前」の基準が高い人で、事あるごとに私と親を見下す
言動をよく聞かされました。
介護が必要な状態になれば、「なんで、こんなことできないの?」「なんで、こんなこと
知らないの?」が日常において通用しない生活になっていると思います。

日頃何気なく、上記のNGワードを平然と言っている方は多いかもしれません。
かつての同級生とその母親が今の状況をどう受け止めているかはわかりませんが(余計な
お世話と言われそうですが)、自分に何か不利な出来事がふりかからないと、平然と言える
神経がいかに恥ずかしいかは感じないのかもしれません。

未来の我が子がどのような子ども(障害の有無も含めて)として生まれ、育つかは未知数
ですが、間違っても、先述したNGワードは使いたくありません。
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一部の非正規職員が感じる、待遇に対する不満 [雇用]

3年前に一度公開しましたが、諸事情から非公開にした記事です。
公開しますので、まだ読んでいない方で興味がありましたらご覧ください。

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今の職場は、正規職員と非正規職員で構成されており、非正規職員の数が正規職員の
それをわずかに上回る状態。

非正規職員は、職場こそ違うが、うちの自治体で長く働いている人が少なくなく、分野に
よっては、自治体独特の規則に精通している人も多いことから、今の職場では重要な戦力
として位置づけられている。

・・・

だが、それは、あくまでも表面上の話。

実際は、非正規職員のなかには、仕事の待遇に対するドロドロの不平不満を心のなかに
溜め込んでいる人もいる。

非正規職員を何となく選び、気づいたら長年非正規職員をやっていた・・・という人ほど、
「こんなはずでなかった」「正規職員と同じ仕事をしているのに、なぜ昇格昇給できないの?」
などネガティブな感情が心のなかを渦巻いているように思う。
その一方で、家庭の諸事情や定年退職後の就職先確保、子育てが一段落したことを理由
に非正規職員を選んだ方々は、割り切って仕事をしている方々がとても多いように思う。

前者に属する方々の一部からは、時たま、何気ない会話で不平不満を耳にしてしまうことがある。
具体的には、自分の待遇に対する不満を正規職員の仕事ぶりのそれにすりかえるなど。
たとえば、「業務連絡のメールの書き方が気に入らない」「整理の仕方が気に入らない」
「自分だったら、こうやるのに」とか。

不平不満を言う側も、非正規職員の待遇に関する権限を持つ役職者などには言えないから、
言いやすい人や話しやすい人を選び、言っているのだろうが、言われる側としてはたまった
ものではない。
待遇が良くないことからくる将来への不安は、容易に想像できるが。

・・・

現状、自治体では、正規職員減少にともなって、雇用契約を何度も更新する形で何年も働いて
いる非正規職員が増えているが、そんな非正規職員も「公務員」として一括りにされる。
民間企業なら、非正規でも、実務を通して蓄積した技術・知識を正社員としてのキャリアアップ
につなげられるケースが多いが、自治体だと、非正規で働いてもそこで培った技術・知識は
その自治体でしか通用しない。
人によっては、自治体の実務経験で培う技術・知識を「汎用性が低い」という見方をする人もいる。
さらに、副業は禁止。
何か不祥事でも起こせば、正規職員同様、マスメディアに大きく取り上げられる。
ブログや日記に書くことも、内容によっては、公務員ということで叩かれ、下手するとマスメディア
に取り上げられる事態に発展しかねない。
私も3年前に正規職員として採用されて以来、ブログや日記に何を書くか思い悩むことが多くなった。
今は、常識の範囲内で書けば問題ないだろう・・・という認識でいるが。
自分で選んだ職業とはいえ、息苦しさをたまに感じることがある。
「超」の字がつくほど几帳面で、目的より手順を守ることに重きを置いて生きている人でないと
公務員は勤まらないのではないか?と思ってしまうほどだ。

そのような思いがあるからこそ、職場にいる一部の非正規職員が待遇に対して感じる思いは
容易に想像できる。

うちの自治体は、非正規職員の複雑な思いに応えるかのように、福利厚生制度を充実させようと
努力する姿勢がこの3年間でますます強くなった。
それでも、非正規職員の思いに完全に応えられるかといえば、限度があるように思う。

このため、自治体では、最初の雇用時に、長く非正規職員として働いてもらう可能性を想定し、
非正規職員として働く強い意志を本人に確かめておく必要性があるように思う。
正社員就職へのつなぎの職業として捉えられていた昔とは違い、一就職先として
捉える人も多くなっている現在だからこそ、必要。

相当の覚悟があって働いている人でないと、不平不満は出にくいと考えるからだ。
確かめたうえで、もし意志が強くないのであれば、他の道を薦めることも、最終的には本人だけ
でなく周囲のためになるのではないかと考える。
・・・と言いつつ、雇用需要が減少しているこのご時世では、正規非正規関係なく、一度退職したら
次の職を確保するのが大変難しい状態。。。

本題からは離れてしまうが、どのような身分であれ「問題なく働ける」ことが一種のステータス
になりつつあるのかもしれない・・・ことを、私は日々感じる。

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6/17 16:00 一部表現(太字部分)を追加しました。
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発声・発音訓練に関して思うこと [雑感]

今年もよろしくお願いいたします。

昨年は環境の変化や様々な出来事が積み重なり、気づけば半年以上もブログから遠ざかっていました。
そのような状況にもかかわらず、アクセスしてくださっている方の存在には大変ありがたく感じます。

さて、今回は、発声・発音に関する記事です。
考えるのがつらいので、支離滅裂な上に、愚痴めいた記事になってしまいますが・・・。

過去に、発声・発音が不明瞭なことで受けた不利益(http://kobuta-090315.blog.so-net.ne.jp/2011-08-28)、発声・発音訓練が明瞭な発声・発音を必ずしも可能にするわけではない理由(http://kobuta-090315.blog.so-net.ne.jp/2012-09-15)を書いてきました。

夫は難聴者とはいえ、明瞭に話せる方です。
彼も幼児期に発声・発音訓練を受けた経験があったので、発声・発音訓練の話は時々しますが、
夫の話を何回か聞く限り、「どこ」で「どの専門家」に適切な訓練を受けたかが訓練の成否に大きく関わってきているのではないかということを強く感じるようになりました。

私も夫も幼少期を過ごしたのは30年近くも前。
今と違い、インターネットがなく、口コミや本、テレビ(NHK教育の番組)が主な情報源。
私の場合は、難聴が判明してすぐに病院から地元のろう学校)を紹介され、そこで指導を受けましたが、発声・発音訓練に関してはゆるかった記憶があります。
「それならば、他の教育機関で指導を受けるべきだったのではないか」と思う方もいるかもしれません。
が、当時の乏しい情報源では、他にいい教育機関で指導を受ける考えが思い浮かばず、地元のろう学校で教育を受けるしか方法がなかったのです。
一方、夫の方はというと、口コミで評判のいい専門家の存在を知ったことで、上京して数か月間ホテル暮らしをしてまで指導を受けられたこと、地元のろう学校が発声・発音訓練では徹底していたことで、大きな成果をあげることができました。
当時の聴力や義母の執念もある程度は関係あったのかもしれませんが、適切な教育機関で適切な専門家に指導を受けたことが明瞭な発音につながっていることだけは確かです。

過去に得た知識も交えつつ、いろいろ突き詰めて考えていくと、発声・発音訓練を指導する立場である専門家は難聴児の将来に対して強い責任をもってやっているのかという思いが常によぎります。

私の場合、専門家が無責任だったのかもしれない。あるいは、能無しだったのかもしれない。
発声・発音訓練は現在は言語聴覚士の資格を持つ方しか指導できないようですが、どこまで考えて指導しているのかが気になるところ。

職場の人々もそうですが、世間の人々はこういう深い事情があることを知らないために、難聴者の発声や発音についてあれこれ言いたがるものですが、それだけはやめてもらいたい。

特に、つらい気持ちになるのは、同じ場所で同じ空気を味わっている人が自分より発声・発音が明瞭な場合、「なんで○○さんは明瞭なのに、ふよこさんは不明瞭なの?」というふうに周囲から見られること。

うちの自治体は、表面上は人それぞれ個性を大事にします、人権を大事にしますとうたいながらも、本音では「普通、平均の人」を求める雰囲気が強い。
障害福祉課等の一部窓口の対応についていろいろ情報を聞きますが、障害者に対して大変失礼な対応をしているにもかかわらず!
なんでこんな奴が採用されているんだ!と思うことも少なくありません。
(それ言ったら、私も「なんでこんな奴が採用されているのか」と思われているのかもしれませんね)
採用試験にもそれが表れているのか、難聴であっても口頭で明瞭に話せる人を強く求める。
私は筆談で採用試験に臨みましたが、筆談のスピードが遅いと不合格になるのではないか、バカにされるのではないかと内心緊張したものです。
(私の筆談スピードはかなり速い方ですが、発声・発音訓練を受けた人が話す速さには到底かなわないだろう・・・ということをどうしても思ってしまいます。)
それもあってか、過去に受けた発声・発音訓練の不十分さをどうしても思い出してしまうのかもしれません。

自治体に入って昇格も経験したことで、うちの自治体は難聴者でもちゃんと能力を見てくれているんだということがわかりました。
しかし、上位役職者から言われた「ふよこさんは事務処理能力は大変高いが、コミュニケーションには課題がある」という言葉がどうしても頭から離れず、こんなことを言われるくらいなら、過去に、発声・発音訓練をちゃんと受けるべきだったのではないかということも考えてしまいます。

それ位、結婚もした、昇格もした、給料も増えた、生活には困っていない・・・今が恵まれた環境であっても、発声・発音が不明瞭なことで受ける不利益から頭が離れることはないのです。

給料があがらない人も多くいるなかで、そんなことで悩むのは贅沢な悩みなのでしょうが。

そんなわけで、今年は現状に感謝しつつ過ごしたいところです。
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